天翔る



第一章 始まりは告げられて

第八話 【記憶の破片】




神殿の内部は、長年人の手が加えられていないとは思えないほどの美しさと清潔さを漂わせていた。

ソラディアナたちが今歩いている廊下の両側も細かいほどの細工が施されている。

それは、見る者の心を鷲掴みにしてしまうほどのできだ。

廊下を見渡す限りでは曲がり角や他の部屋への入り口となる扉はなく、ただ真っ直ぐに続いている。


「何か、予想とは大分違ったな。期待はずれだ」


そうクラウスがポツリと呟いた。

しばらくの間ぼーっと周りの細工などに目を奪われていたソラディアナは、その言葉に疑問を抱く。

これほどまでに綺麗な物を見れて、何が期待はずれだと言うのだろうか。


「何で?こんなに綺麗な装飾とかを見れて期待はずれなの?」

「こんな装飾、王都の神殿で見飽きてるんだよ。何か、似てるんだよな。作りといい、細工といい…

それに、俺が今回地下神殿に来ようと思ったのは何も見学するためじゃない」

「じゃあ、何しに来たの?」


条件反射のように聞き返してしまう。

確か、クラウスたちはこの神殿の調査をすると言っていたはずだ。

こうやって中に入り、辺りを見回して何があるかを探るだけでも十分に目的に達していると思うのだが。

クラウスは片手で前髪を押さえるようにしてはあっとあからさまに息を吐きながら言った。


「俺がわざわざここに何があるかを探るためだけに来る訳がないだろ。調査って言ったってただこの神殿を

検分するためにじゃない。何か面白い事が起きないかと思って来たんだ」

「…面白いこと?」


何やソラディアナはクラウスが言った一言に嫌な予感がした。

そして、案の定。


「ああ…ラーファンが懐かしい気を感じるって言ってたのも気になってるけど、やっぱりこういう昔からある

建物や遺跡は魔物が出やすいだろ?そいつらと一線交えたかったんだ」


修行にも気晴らしにもなるしな、とクラウスは何気なくそんな事を言う。

しかし、ソラディアナからしてみればその内容は蒼白ものだった。





魔物。

そう呼ばれる生き物が、この世界には数多も存在しており、日々人々を恐怖へと掻きたてている。

森の奥深くや闇が濃い地域によく生息しており、ラーファンが生み出したとされる精霊とは対なる存在だ。

この、竜が神として崇められている世界を創造したのは何もラーファンだけではない。

もう一匹、始竜と呼ばれる存在がこの世界には存在しているのだ。

その始竜は、ラーファンを光と言い表すのならば―――闇。

魔物たちを生み出したのもこの闇の始竜であり、その名前を誰一人として知る人間はいない。

ラーファンは、創造主とも呼ばれるが、正しくは光の始竜と言われる存在である。

人々は、この闇の始竜の事を決して神とは認めていない。

ただ自分たちを害するばかりの存在を、どうして崇めなければいけないのだろうか。

それが、人として生きる者たちの考えだった。






「そんなに怯える必要ないだろ…」


あまりにソラディアナの顔が青ざめていたのか、クラウスは呆れ顔をしながらそう言った。


「だいたい、お前精祝者だろ?大抵の魔物に襲われたって精霊が守ってくれるだろうし」

「それとこれとは話が別だよ…」


いくら自分が精祝者だからと言っても、やはり魔物は怖いし、できる事なら一生関わりたくなどない。

そのようなものが生息している場所に赴くなど以ての外だとソラディアナは思った。


「安心しろよ。ここには魔物いそうな禍々しい気は感じないし、逆に神気さえ感じる程だ」

「…神気?」


こんな所に戦力になるからと言って十七歳の小娘を連れてくるなよ、と心の中だけでそっと呟いていたソラ

ディアナは、クラウスの言った聞きなれない言葉に思わず首を傾げた。

神気、と言う言葉自体は知っている。

しかし、その言葉を聞いたり使ったりする事など滅多にはないのだ。


「ああ。ラーファンと会話をしたり、直接会ったりする時の周りの空気に似ているんだ。ここはラーファンと

何か繋がりがある神殿なにか…?」

「さあ…私には解らないけど、この神殿って随分前からあるんでしょ?何かあっても不思議じゃないんじゃ

ないの?」


ソラディアナはこのような古い建物に入って事が記憶のある中では全くと言っていいほどない。

なので、そのような在り来たりな意見しか出す事ができなかった。

何でもう少しまともな意見が言えないのだろう、と彼女は少々落ち込み気味になってしまう。

そんなソラディアナの言葉をフォローをするかのようにライベルトは口を開らいた。


そうですねぇ。お嬢さんの言う通りかもしれません。それに、いくら考えても、望む答えはこのままでは出ない

でしょう。この先へ行けば何か解決する手立てがあるかもしれませんよ」


そうライベルトは言うと、いつの間にか数メートル先に迫っていた所をを目で示した。







そこは、王城の大広間ほどあるかと思われるほど大きな空間であった。

天井には神話の絵画であろうか、精霊が戯れている絵や人間たちが何やら竜に向かって膝を折っている絵など

が何枚も描かれており、ソラディアナは今まで見た事もないその素晴らしい光景にしばらく言葉を失う。

クラウスとライベルトは彼女のように見惚れる様子はなく、辺りに何かないかを隅々まで見渡していた。

そんな、しばらく誰もが口を噤んでいた時に。

ソラディアナは、何やら不思議な感覚が自分を包み込んでいくように感じた。

確かに、この神殿に入った頃から懐かしいような感覚が彼女の心に響き渡っていたが、今はその感覚が大きく

なり胸を締め付けるようになっている。

急にやってきたその異変に、ソラディアナはただ胸の辺りを両手で強く握り締めその感覚に耐えるしかない。

そんなソラディアナの突然の変化に気づいたのだろう、クラウスとライベルトが心配そうに声をかけてきた。


「おい、どうしたんだ。大丈夫か?」


しかし、ソラディアナはそのクラウスの言葉に返事を返せるような余裕はない。





彼女の心を今占めているのは、一つの記憶。

自分ではない誰かの、おぼろげな。

誰かが、泣いている。

どうしようもないほどに悲しく、辺りに響き渡るその泣き声は、何故だか聞いていると胸が苦しくなった。

白い頬を伝う涙は止まることを知らずに滴り落ちていく。

嗚咽と共に聞こえる小さな言葉は、ただ必死に二人の名を呟いていている。

その名を聞き取る事はできなかったが、どこか知っている名前であるような気がした。

彼女はそのまま泣き崩れるように顔を両手で覆いながら座り込んむ。

空からは、まるでその心情を表すかのように雨がぽつりぽつりと降り始め始めていた。




――知っている気がする。

この光景を―――彼女の、事を。





「おいっ!!しっかりしろ!!」


空虚をみるように瞳を見開いたまま動かなくなってしまったソラディアナをクラウスは必死で我に返そうと彼女の

肩を両手でしっかりと掴み大きく揺する。

何度かその行為が続いた後に、ソラディアナはやっと己の意識を戻す事ができた。

しかし、しばらくの間は何が起こったのか理解出来ずにただ呆然とするしかなかない。

クラウスが何が起こったのか尋ねようとして座り込んでしまっている彼女と目線を合わせるように身を屈めると、

落ち着かせるように目を覗き込みながらゆっくりと喋り始めた。


「いったい、どうしたんだ?」


その問いかけに、ソラディアナは首を横に振りながらわからない、と返した。

本当に、解らないのだ。

自分の身に何が起こったのか、そしてあの泣いている女性の記憶は誰のもで何を表しているのか。

何一つ、理解する事ができない。

そんなソラディアナの様子に、クラウスたちは訳が解らずに困惑する事しかできなかった。


「どこか、体調でも悪いですか?」


ライベルトも心配そうにそう聞いてくる。

彼女はその彼らの優しさに混乱していた心が徐々に落ち着いていくのがわかった。


「ありがとう…もう大丈夫だから。心配させてごめんね」


そう言い、笑顔をクラウスたちに向ける。

クラウスたちはまだ不審そうに彼女を眺めていたが、ソラディアナはこれ以上自分の事で迷惑をかけたくない。

慌てて話題を変えるように、今視線を向けた時に見つけたものを指差しながら言った。


「そ、それよりあれなんだろう?」


彼女が指で示したのは、この広い空間の真ん中程の所。

一見では他と変わった所は見受けられないが、ソラディアナには床に何やら文字が刻まれているように見えた。

クラウスとライベルトも彼女が指で指した方向をしばらく眺めた後にその文字の存在に気づく。

三人は今居る場所からその文字を近くで見る事ができる所まで移動をした。


「神文字か…?」


ポツリとクラウスが独り言のように呟く。

彼に続いて床に刻まれた文字を眺めたソラディアナは、その文字を見て興奮するように言った。


「そう、そうだよっ!!これ神文字だよっ!!」


彼女の体の底から刻まれた神文字に対する探究心が疼きだす。

こうなってしまっては、先程の不思議な出来事も頭の片隅に遠のいてしまっていた。

そんな彼女の様子に呆れているクラウスたちの存在に構うことなく、ソラディアナは一人しゃがみこんで何が

書かれているか解読を始める。


「お嬢さんは神文字が読めるようですね」

「ああ、そうみたいだな。正直、驚いてるけど。人は見掛けによらない」


何やら失礼な事をクラウスが一言余分に喋っている。

しかし、今解読に夢中になってしまっているソラディアナはその事に気づくはずもなかった。








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