天翔る



第一章 始まりは告げられて

第六話 【再会、そして】




「えっ…」


真っ先にソラディアナが出してしまった言葉は、間の抜けたものだった。

王子も、両方の目を見開いて似たような反応をしている。


「お前…」


二人の間に、何とも言えない沈黙が流れだした。







一方のソラディアナと言えば、最早頭の中は錯乱状態になってしまっている。

今の状況を、ちゃんと正しく理解する事ができないのだ。

彼女の目の前にいる、世間一般ではジェニファルド第一王子と呼ばれている尊きお方の顔は、王都に来た

翌日の誕生祭に出会ったクラウスと瓜二つである。

唯一違うのが髪の毛の色くらいであるが、その他の容姿はあまりにも似すぎてしまっていた。

自慢ではないが、ソラディアナは一度出会った人の顔は絶対に忘れない。

だと、すれば。


「クラウス…?」


よく耳を澄まさなければ聞こえないであろう小さな言葉で、ソラディアナはポツリと囁くように呟いた。

そして、言ってしまった後に自分の眺めている人物がこの国の王子であると気づき、後悔をする。

幾ら似ているからと言って、あのような酒屋にいたクラウスが王子な訳がないのだ。

そう思うと、急に恥ずかしくなってきてしまった。

先ほどの呟きは普通ならば聞こえないだろうが、今は部屋全体が不思議な程に静まり返っている。

近くにいる者ならばしっかりと聞き取ることができてしまうのだ。

もちろん、そのように突然名前を呟かれた本人にも。

ソラディアナは王子に不思議がられるか、それとも何かを言われるかと思うと怖くなってしまい、瞼をぎゅ

っと条件反射のように強く閉じる。

しかし、想像していたような王子の笑いや言葉は一切耳には入ってこなかった。

それを不思議に思って恐る恐る彼女が開いた目の中には、何故か諦めにも似た王子の顔。

不思議に見やっている彼女の視線に彼は気にする事もなく一つ重たい溜息を付くと、扉の前からゆっくり

とソラディアナの前まで歩いてき、彼女の前に置かれている長椅子に腰を下ろしてきた。

それにならって、彼と共に部屋に入ってきた紺色の髪の青年も長椅子の傍に移動する。

まだ不思議そうにしているソラディアナはそれを黙って見届けるしかなかった。

王子はお互い向き合う形になった後に、やっと口を開く。


「まず座れよ」

「は、はい…」


勧められた通りに自分も対になって部屋に置かれている長椅子に身を静かに落ちつかせる。

その様子を目で確認していた彼は、再びはあっと溜息を付いた。


「俺が甘かったんだよな…まさかお前がこの学院の生徒だったなんて。てっきり誕生祭を楽しむために来た

観光客だと思ってた」


思考が徐々に正常に戻ってきたソラディアナは、その言葉に何故か疑問を感じた。

だいたい、初めてあった人物に性格は至って穏やかだと世間一般では噂されている王子が「お前」などとい

う呼び方で呼ぶわけがない。

しかも、初めて出会った時もクラウスはソラディアナの事を名前ではなく「お前」と呼び続けてた。

ならば、この目の前の王子という身分を持った人物がやはり自分の思った通り、クラウスなのだ。

ソラディアナはそう確信した。

しかしあの時出会ったクラウスは黒色の髪をしていたが、染め粉でも使って色を変えていたのであろうか。

相手がクラウスだと分かって知ってしまった途端、本当はこのまま敬語を使わなければいけないのだろうが、

そこまで頭が回らずににこの前話した時に使っていた言葉遣いに戻ってしまう。


「やっぱりクラウスだったんだね。え…でも確か私たちが初めて出会ったのって王子の誕生祭の日だよね?

あなたが王子だとすれば、行事とかに出席しているはずなのにどうしてリーアの酒屋にいたの…?」


ソラディアナが思った疑問は、ごくごく当たり前のもの。

クラウスはその質問に微かな笑いを作ると、その訳を楽しそうに話し始めた。


「替え玉を使ったんだよ。ほら、俺の隣にいる奴。こいつに変化の術をかけて王子に仕立てたんだ。あんな

面倒くさそうな行事、やってられるか」


だからって普通抜け出して昼間からお酒を飲むだろうか。

そのクラウスの言葉に密かにそう思ってしまったソラディアナは、今彼が口にした「隣の奴」、即ち紺色の髪を

した青年にそっと視線を向ける。

今までクラウスに気が集中してしまっていたために、あまりその存在を正確には認識できていなかったのだが、

じっくりとその姿を目で確認してみればこの青年もクラウスと同じように整った顔立ちをしていた。

その視線を敏感に感じ取ったのだろう、今まで二人の会話に口を挟まずに沈黙を保っていた青年が彼女の方

へと目を向け、笑顔で喋りかけてきた。


「初めまして、可憐なお嬢さん。私の名前はライベルトと申します。この何ともぐうたらな王子様の側近を勤め

させていただいている者です、以後お見知りおきを」


そうライベルトと名乗った青年はソラディアナの元まで歩いて行くと、膝を折り恭しく彼女の手を持ち上げ、淑女

に接するかの如くそっと甲に口付けを落とす。

そんな事を今まで生きてきた中で一度もされた事がなかったソラディアナは一瞬にして体が硬直してしまった。

その様子をクラウスは呆れながら眺めている。


「でたよ…この女キラーめ。いい加減行く先々で出会った女にそういう事するなよ…」

「失礼だな、我が主殿は。私はこの世で儚く舞う蝶たちを丁寧に扱っているだけですよ」


まるで心外だ、という表情になりながらライベルトはクラウスの言葉に反論した。

そして、そのまま言葉を続ける。


「それにしてもシステリア様はこのお嬢さんにはクラウスと名乗っているのですね。正直、驚きました」

「城下にお忍びに行く時にはそっちの名前で名乗ってるんだよ」

「ああ、そういう事でしたか」


その二人の会話にソラディアナはまったく付いていけない。

しかし聞いているうちに、彼らが話していることの内容がだんだんと分かってきた。

クラウスがこのジェニファルド国の第一王子だとすれば名はシステリアのはずだ。

しかし、城を抜け出している最中にその名で名乗るのも憚られるために偽名を使っていたのかもしれない。

だが、今ライベルトは正直驚いたと言っていた言葉に、ソラディアナは不審に思った。

何を驚く必要があるのだろう、と。

なので、思ったことをそのままに聞いてみる。


「えっと…話してる途中で申し訳ないんですけど、クラウスっていうのは偽名なんですよね?ライベルト様が

どうしてその事に対して驚く必要があるんですか」


ライベルトに対してはどうしても彼からでる気品で敬語になってしまう。

クラウスの方が明らかに身分が高いのに、あまりにも態度が違い過ぎてしまっていた。


「ああ、そうですね。お嬢さんがその事を疑問に思っても不思議ではありませんね。さて、私は悩めるお嬢さん

の疑問を解消して差しあげたいのですが…何と言えば良いのでしょうねぇ…」


ライベルトはそう言うと何か考えているのだろう、そこで言葉を切ってしまった。

その替わりとでも言うように、今度はクラウスが話し始める。


「要するに、俺の名乗ったクラウスって言う名前は別の所で使われているもう一つの『名前』なんだよ。

そのもう一つの名前を呼ぶ人物なんてそういないからライが驚いていただけだ。ちなみにシステリアって

言う名前はのは世間一般に使われているやつ」

「えっ。じゃあ、私もシステリア様って呼んだほうが良いかな…」


今更ながら自分が何時もの言葉遣いで話していた人物がそうは思えなくとも一応王子であると言うことを

やっと思い出したソラディアナは思わず名前の最後に敬称を付けた。

そのソラディアナの言葉に、クラウスは思い切り眉を顰める。


「名前の最後に様なんていらねえよ。それから、絶対敬語も使うなよ。今更お前にそんなの使われても

ピンとこないからな」


それから、とクラウスは言葉を続ける。


「名前もクラウスのままでいい。システリアって名前、あんま好きじゃないんだよ。俺はこんな名前みたいな

穏やかな紳士でもないしな」


その言葉に、ソラディアナは思わず笑ってしまう。

彼女はそのお言葉に甘えてそのまま彼を今までのままクラウスと呼ぶ事にした。

正直、敬語もしなくていいと言われた事は、どうしてもクラウスが王子とは思えなかったのでほっとしている。

ソラディアナは生まれた時からこちらの世界に来るまでは王政はなく、また身分も関係ない社会で育って

きたために、あまり『王』や『王子』、『貴族』といった身分を持つ者たちに対してどのように接すればいいのか

わからないのだ。

なので、今回のクラウスの言葉はソラディアナにとって非常に有難かった。








そこまで会話が進んだあと、ふとソラディアナは今ここに何故自分がいるのかを思い出した。


「そう言えば、クラウスたちって今回、視察に来たんだよね?生徒代表の私に質問とかしなくていいの?」


そう、そもそも彼らの今回学院の訪れた目的はそれだ。

このようにゆっくりと会話をしている時間など、彼らにはないはずである。

慌ててそう言ったソラディアナの対して、クラウスたちはゆったりと寛いだまま。

そして、徐(おもむろ)に口を開いて喋った言葉は、思いもよらないものだった。


「ああ、そのことなら心配するな。俺たち別にこの学院の視察に来た訳じゃないし」

「え…?」

「そんなの、上辺だけの仕事だよ。本当の目的は別にあるんだ」


そこまで言って言葉を続けようとしたクラウスに、ライベルトが慌てて口を挟んでくる。


「話してしまってもいいのですか?」


その言葉にクラウスはああ、と返事を返した。


「お前はまだ話してなかったけど、こいつ精祝者なんだよ。役に立ちそうだから連れて行こうと思ってな」


何やらソラディアナの知らないところでクラウスは勝手に決めてしまっていたようである。

そして、そのままクラウスは彼女と目を合わせ、にやりと笑いながら言った。







「俺たちは、この学院の下にある地下神殿の調査に来たんだよ」








ソラディアナはその言葉にただ息を呑むしかなかった。

そもそも、あまりにもスケールが大きすぎる話であり、俄かに信じがたい。

しかし、そのまま話し続けるクラウスの言葉の内容に、その話がだんだんと真実味がおびていく。


「学院側には全く知らせていないんだけどな」

「じゃあ、どうやってそんな事がわかったの?」

「そんなの簡単だよ。ラーファンが『あそこの下に懐かしい気配を感じる』って言ってたのが気になって調べて

みたら何か古い文献に一箇所だけ、始まりの神殿って書いてあったんだ」


楽しそうだから今からそこに行くんだ、とクラウスは面白そうに言う。

だが、ソラディアナは今そんな事に気を向けている余裕はなかった。

クラウスは先ほど簡単にラーファンという名前を出したが、それはもしや始竜の事ではないだろうか。

そう考えて、ソラディアナは忘れかけていた事を思い出す。

彼が第一王子ならば、始竜に祝福されている人物。

そして会話の内容からすると、どうやらラーファンと会話ができるらしい。

そのような事実にソラディアナは遅くも自分が考えているよりもクラウスがすごい人物だと思えてきた。

まあ、それだけではあったが。









この時、ソラディアナはあまりにも沢山の出来事がありすぎて忘れていた。

精霊たちが、クラウスたちと会う前に騒いでいたという事を。

そしてなによりも、彼女は聞きそびれてしまっていた。

普段片言しか喋れないはずの彼らが、歓喜に満ちた声で、歌を歌っていたということを。










歌え舞え、世界に息吹を与える片翼たちよ

空が澄み、風が子守唄を奏でるのならば、背は華のために

世が紡いでゆくは数多の語り手

飛べ咲けよ、彼方へと続くは夢路の果てへ







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