天翔る 第一章 始まりは告げられて 第五話 【思わぬ不幸】 ―――ああ、どうしてこう。 ソラディアナは朝っぱらから溜息を付きたくなるような事態の直面し、己の運のなさに落胆した。 まるで学院内にいるうら若き乙女たちの心情を表すかの様に、憎々しいほど太陽が己の存在を主張 する蒸し暑い日に。 ソラディアナは昨日の夜に受けた伝言の内容の通り、まだ生徒が学校の用意をしているであろう時間 帯に校舎の中に足を運んでいた。 人がまだ賑わっていない校舎は静寂に包まれており、ソラディアナの足音がこつんこつんと響く。 昨夜寮の監督生から受け取った伝言の内容は、簡単に要約すると次のような文章であった。 【明日の早朝、火急の用事があるので職員室に参られよ】 何かをやらかした記憶は全くなかったが、呼ばれたからには行かなければいけない。 何やら、嫌な予感を感じない事もなかったが。 数分してやっと目的の部屋に辿り着く事ができたソラディアナは一つ息を吐いた後、気を入れなおして 一、二度入り口のドアをノックした。 どうぞ、と言う言葉が聞こえてきたのでソラディアナは失礼します、と言った後に職員室に身を滑らす。 入り込んだ職員室の中には何故か顔見知りから全く知らない先生までもが、笑顔を浮かべながら ソラディアナが入ってきた位置を囲むようにして待ち受けていた。 その異様な光景に思わず後ずさりをしてしまう。 しかし、先ほど自分で閉めたドアがそれ以上下がるのを阻止しているかように立ちはだかっていた。 この暑さのせいか、それとも別の理由からなのか、汗が背中をだらりと流れてゆくの感じる。 そんな、ソラディアナを囲んでいる先生方の中の一人に。 一番顔を見知っている自分の担任の先生がいた。 その事に一瞬安堵を覚えて肩の力を抜こうとしたのだが、そうなる前に。 先生がソラディアナに笑顔を向けながら話しかけてきたのだ。 「いや〜良く来てくれたな、ソラディアナ。早朝からすまんな」 「い、いえ…」 「こんな風に朝呼び出したのはあれだな、うん。少し頼みたいことがあったんだ」 「頼みたい事ですか?」 思わず首を傾げてしまう。 普通の頼み事ならば、この様に大勢の先生に囲まれる事はないと思うのだが。 「うん、それがなぁ…」 そう言うと、彼女の担任は何か気まずさそうに言葉と詰まらせてしまう。 いったい、何なのだろう。 ソラディアナがそう思い始めた矢先に、言葉を切ってしまった教師を見かねたのだろう、別の先生が 助け舟を出すように代わりに説明をし始める。 それは、とんでもない内容だった。 「ソラディアナさん、遠まわしに言うのはどうかと思うので率直に言わせていただきますわ。 ―――あなたに、今回の王子の視察に付き添う生徒代表になって貰いたいの」 一瞬、ソラディアナは自分が何を言われたのか理解できずに体が硬直してしまう。 そんな彼女の反応を想像していたのか、衝撃の事実を喋った当の本人は呆然としてしまっている 彼女の様子を気にする事もなく、言葉を続けた。 「あなたがあまり王子と言う存在に興味がない事はサーシャから聞いて知っているわ。だからこそ、 お願いしたいの。王子に熱を上げている女子生徒にこの役を任せてしまうと、どんな粗相を王子の前で 起こすかわからないのよ」 聞いていて、冗談ではないとソラディアナは思った。 今自分にとんでもない事を喋っている教師は、実はサーシャの叔母にあたる親戚である。 一週間前の出来事を、サーシャがこの人の前でぽつりと呟いたのだろう。 ものすごくそのように余計な事をしたサーシャがソラディアナは恨めしくなってしまった。 ここは何としても反発してこの面倒な役から逃れなくては。 そう思うと、反論の言葉にも自然と力が入っていく。 「でも先生、何も私でなくとも生徒会長などの適材な人材がいるんじゃないですか?」 「普通だったらあなたの言う通り、そうするのだけどねぇ…現在生徒会長を執り行っているのは女子生徒 でしかも王子の熱狂的ファンなのよ…」 思ってもいなかった返答にやや押されそうな気がしたが、それでも負けじとソラディアナは次の意見を先生 に向かって投げかけた。 「じゃあ、男子生徒が案内すればいいんですよっ!!」 言ってみて、一瞬勝利を確信する。 しかし。 「それがねぇ…どうも校長がただでさえ夏で暑苦しいのに男子生徒を代表として送り込めば更にそれが悪化 するだけだからって却下だって」 その言葉に、ソラディアナがクソ校長めっ!!と汚く罵ってしまったのは言うまでもない。 暑苦しいからなんだと言うんだ、それでは男子生徒があまりに可愛そうではないか。 思わず、負けを認めてしまいそうになる。 しかし、そんな彼女にも最後に一つだけ希望の光が残されていた。 ラリアがいるではないかっ!!!! その事を彼女は嬉々として告げて見る。 だが――― 「その意見も出たには出たんだけどね…彼女って少し無愛想っていうか人見知りが激しいでしょ?」 「そうですが…」 「たぶんこの役には向いんじゃない?」 簡単に却下されてしまった。 最早ソラディアナには残された案はなく、自分がこの役を降りるための口実を作る事さえできない。 そんな彼女に、無情にも先生は最後の言葉をかける。 「と、言う訳だから頑張って頂戴ね。可愛そうだけど、拒否権は全くないから。幸運を祈るわ―――」 その言葉が、ソラディアナには死刑宣告に聞こえてしまったのは、仕方のない事かもしれない。 今回の代表の件が学院に通う女子生徒に知らされる事は非常にまずい。 もし、ばれたりしたならば絶対に生きてはいられないだろう。 その事を先生に話したら「絶対にばれないわ」、と自身満々に言っていたが、それも本当か心配である。 特に、サーシャにばれるのは天地が裂けても防がなければいけない。 ソラディアナの不幸の原因を作ったのは確かに彼女ではあるが、あれほどの王子のファンなのだ。 ばれたら毎日、何度もくどくどと言ってくるに決まっている。 幸いにして生徒の代表になってやる事と言えば、個室で王子が質問した事に生徒の意見として簡単に 答えるだけである。 用心深く行動すれば自分が代表として王子と会話したなどとばれないはずだ。 先生達から早朝に死刑宣告を受けてから早いもので三時間も経っている。 ソラディアナのクラスの生徒には、彼女は今日体調が悪くて休みだと伝えたと、担任の先生からは 聞かされていた。 正直、授業が休めた事はこの上なく嬉しい。 この学院に実力で入ってきた訳ではないソラディアナは、各教科の勉強内容が毎回難しすぎて付いて いけないという現実に突き当たっていた。 まあ、元々彼女は力の制御を覚える為に入学したのだから、その事に関して腕を上げた為に精霊学や 魔術学などの授業に対してだけはソラディアナは群を抜いていたのだが。 そうして、しばらく考え事をしていた時に。 異変は、起きた。 急に、風や水の精霊たちが騒ぎ始めたのだ。 あまりにも突然の事に、ソラディアナは慌てるしかない。 彼らは、前回クラウスと会う前と似たような事を耳元でうるさく囁き続けてきた。 『やっと、やっと、やっと。会う、来た、待ってた』 精霊たちは話しかけてくると言っても片言しか喋ることしかできない。 ソラディアナは必死に囁いてくる彼らの言葉の内容を理解することができなかった。 そんな、突然の異変が起きてしまっている時に。 無情にも、王子と対面するために個室で待っていたソラディアナの元に、王子来訪の知らせがベルに よって知らされたのだ。 精霊の事に気を向けている余裕がなくなったソラディアナは、急いで先ほどの異変の事を頭の隅に 押し込むと、言い含めたれていた通りに長椅子の前でびしっと姿勢を正しす。 心臓が大きく振動しているのを、自分でも感じ取る事ができた。 王子に興味がないと言っても、やはりこの国の国王に一番近い人物である。 緊張しないほうがおかしのだ。 目の前の来客用の豪華な扉がゆっくりと開いていく。 そして、顔を引き締めたソラディアナの目に映った人物は―――― 紺色の髪をした青年を連れ添った、一人の青年。 その髪は噂通りの美しい金髪であり、瞳は深い海のような青色。 そして何よりも、その顔立ちが。 酒屋で出会った、クラウスの顔そのものだったのだ。 TOP/BACK/NEXT |