天翔る



第一章 始まりは告げられて

第四話 【優しい夢】




夢を、見る。

懐かしい、あの頃の夢を。

『空』、と優しく呼んでくれた、彼の事を―――



それは、もう遠い過去の話だけれでも。

それでも私は――あの世界の夢を見る。













そこは、白い光にに満たされていた。

見渡す限りにはただ白い世界が存在しているだけであり、唯一確認できるのは己の体だけ。

その事に普段ならば不安や恐怖が体中から溢れ出てくるだろうが、そんな感情はなかった。

ここにいる事が当然の事のようであり、逆に心は安心感に包まれている。

その事にソラディアナは疑問を感じる訳でもなく、その空間に身を委ねるようにただ静かに目を閉じていた。

最早時間さえ存在しないその世界は、まるで自らを包み込む母親のよう。

自分に危害を加える訳でもなく、ただ暖かく見守ってくれているように感じられた。

そんな、白い空間の中で。

ソラディアナは、この世界に来てから唯一『空』でいられた。

その事が泣きたいほど嬉しくて、時に涙を流すと時もある。

誰も、自分を『ソラディアナ』とは呼ばない。

決してその名前が嫌いな訳ではないけれど、時々無性に自分が自分ではないような気がして不安になって

きてしまうのだ。









彼女が呼ばれているソラディアナという名は、彼女の存在自体の言霊として表すのならば誤っている。

しかし、その事を知っている彼女の知人は一人としていなく、皆彼女をその名で呼んでいた。

本当の、正しき名は―――――






朝間 空(あさま そら)






彼女が始竜の守りし世界に訪れたのは、幾千もの星たちが己の輝きを誇るように輝やいていた美しい

夜の日のこと。

知らぬ間にこちらの世界に飛ばされていた空は、ただただ呆然と佇む他なかった。

その場に自分以外誰一人存在しないというあまりの恐怖に、自然と涙が溢れてくる。

どのぐらいの時間が過ぎただろうか。

気が付いたら空は見知らぬ部屋に寝かされており、見上げた目の中には優しそうな老夫婦の顔。

なにやら嬉しそうな顔で、何度も何度も帰ってきてくれたのだねソラディアナ、と言い涙をながしながら

優しく頭を撫でてくれる老夫婦に、空は状況を掴む事が出来ずに呆然とする事しかできない。




その日から、空はソラディアナとなった。




これはもう、数年も前の過ぎ去っていった過去の話。

誰にも言うことはない、自分が確かに空としての存在していた、最後の瞬間だった。















少々肌を刺す程の暑さだったものが今や真夏にも近い気温の中で、ソラディアナはまったく風が入って

こない窓の外を眺めながら一人、誰にも気づかれない程の溜息を一つ吐いた。

一月程前に入学式を無事に終えることができたソラディアナとラリアは現在別クラスである。

最初はその事に大きなショックを受けて沈んでいたが、一月も過ごすうちに慣れてしまった。

友人にも恵まれ、多く出される宿題以外これと言って苦痛となる事はない。

しかし、溜息が出てしまう。

それは、最近ソラディアナを悩ませている原因が理由であった。

どうもここのところ風の精霊の様子がおかしい。

それに拍車をかけるように、風の精霊と同様に自分を祝福してくれている水の精霊までもが異変を示し

ているのだ。

その異変を確信できたのは数日前なのだが、精霊達がそわそわしだしていたのはかなり前からである。

その当時から変だなと思っていたのだが、あまり気にすることはなくそのままのしておいた。

それが二週間程前くらいから風と水、双方の精霊の声が時々耳に同じ事を語りかけてくるようになったのだ。

『早く、早く、早く』、と。

彼らはそれだけしか言わず、ソラディアナにはまったく何を伝えたいのか理解する事ができない。

しかし、一つだけわかることがあった。

丁度精霊達がおかしくなり始めたのが、第一王子の誕生祭の日に風の精霊の導きによって出会ったクラウス

と別れた次の日くらいからだ、と言う事だ。

ソラディアナはお礼を言いそびれてしまった事が悔やまれたため、クラウスと唯一の接点であるリーアの

酒屋に以前から何度か訪れているのだが、なかなか会う事ができないでいた。

クラウスはいつぐらいに来るだろうかとリーアに尋ねてもさあね〜と返されるだけで。

どうすれば会えるだろうかと考えていたところに今回の精霊達の異変である。

頭を抱えたくなる事が増えてしまったのはソラディアナにとって不幸以外の何者でもないだろう。

ラリアに風の精霊の不思議な体験の話をしても「そんなの、わからないわ」と軽く返されてしまい未解決の

ままになってしまっている。

もう一度ソラディアナは重い溜息をそっと吐いた。

そしておもむろに今何時なのかが気になり壁にかかっている時計へと目をやる。

時刻は、丁度一時を少し過ぎたところだろうか。

学院内の午前中の授業が終わり、現在は生徒の一日の中で一番の楽しみと言えるお昼の時間である。

同じクラスになってからいつも一緒にお昼を食べているサーシャという少女は、ソラディアナとのジャンケン

に負けて罰ゲームとして購買にパンを買いに行ってしまった。

それから大分経つのだが、一向に戻ってこないサーシャをいいかげん待つのも飽きてきてしまう。

戻ってきたら文句の一つでも言ってやろうか。

そう心の中で思った矢先に。

当のサーシャが片手にパンを鷲掴み、走ってきたのか息を切らせながら教室の中に入ってきた。







「ソラディアナーーーーーーっっっっ!!!!!」、と大きな声を出しながら。







教室でお弁当やお喋りをしていた者たちは突然大声をだしながら教室に入ってきたサーシャに何事かと

驚いたような目を向ける。

ソラディアナからしてみれば自分の名前を大声で呼ばれて注目を浴びるなどと堪ったものではない。

しかし、そんなソラディアナの様子になにやら必死なサーシャが気づく余裕がある訳もなく、一直線に

彼女の席の元へとやって来た。

購買にパンを買いに行って時に何かあったらしい。

サーシャは走ってきた息を整える暇もなく、窓辺の席に座っているソラディアナの顔を見つめながら

自分がこのように焦って走ってきた理由を述べ始めた。


「大ニュースよ大ニュースっっ!!!!!!!今購買に行ったときに先生たちが歩きながら話していた

のを聞いちゃったんだけど、これが本当にすごいのよっ!!ソラディアナ、聞いて驚かないでよ!!

何と何と、この我がジェニファルド国立学院に一種間後第一王子のシステリア様がこっそり視察に

来るらしいのよっっっ!!!」


ものすごい熱の篭りようである。

だが、それもそうだろう――サーシャは今、年頃の乙女たち同様第一王子に夢中だ。

聞いた話によれば、誕生祭の日もその姿を一目でも眺めるために神殿のバルコニーの前で五時間も

前から待っていたらしい。

サーシャの様子に何やら面白そうな事がありそうだと彼女の話を気づかれないようにそっと耳をそばだ

てていた周りのクラスメイトたちは、その言葉を聞いて一気にはしゃぎ始めた。


「きゃーーーっっシステリア様がこの学院に来るですって!?」

「まじかよ!!それって本当なのか?」

「すごいね〜ひょっとしてら今回の視察でお近づきのなれるかも!」


皆、思い思いの事を口にしている。

きらきらさせながらうっとりとしているサーシャの顔を眺めながらそれを聞いていたソラディアナは、

ただ平凡な返事を返すしかなかった。


「ふ〜ん…」


聞く者からしてみればあまりに気の抜けている返事である。

その返事に聞き捨てならなかったのだろう、意識を自分の世界へと飛ばしていたサーシャはむっとした

表情になると気のなさそうな顔をしているソラディアナにぬっと身を乗り出しながら言った。


「ちょっとーーー気にない返事をしないでよ〜!折角大ニュースだと思って一番にソラディアナに知らせ

てあげたのにっっ」

「だってさ〜…あんまり興味ないんだもん」

「はあっ!!?それ本気で言ってるの!?」

「うん」

「絶対に絶対におかしいよ!!本当にあんたは十七歳の初々しい乙女なのっ!??」


あまりの言いようである。

ソラディアナからしてみれば十七歳の乙女だからと言って第一王子に熱を上げなければいけない理由

がわからない。

しかし、どうやらこのクラスの女子の様子を見る限りサーシャと同じ考えのようであった。

皆一斉にシステリアの話題を話しており、時にはきゃー!!っと悲鳴を上げてはしゃぐ者もいる。

断然、ソラディアナはあの異様な世界に入れそうもなかった。

それよりも、今はサーシャが手に強く掴んで潰してしまっている自分の昼食となるはずだったパン

の方が気になってしまう。

菓子パンだったのか、あまりに強く握ってしまっていたために中身がはみ出てしまっていた。

これでは最早食べれないだろう―――と言うか、食べたくない。

ソラディアナは今日で三度目となる溜息を、今度は人にも聞こえるように一つ吐いた。










サーシャが先生たちから盗み聞きしてきたこの話は、一時間としないうちに学校に広まる。

先生たちは秘密裏に事を進めようとしていたらしかったが、今回の事でそれを断念せざる得なくなって

しまったらしい。

全校生徒なの中で、特に女子生徒たちはその日が訪れるのを指を折りながら期待に胸を膨らませて

待っているようであった。










今回の第一王子の視察がこの先大きな出来事に繋がるなどと、彼女が思う訳もなく。

時は、ゆっくりと過ぎていった。







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