天翔る



第二章 麗しき水の都リーレン

第二十話 【青き花の痣】




どう説明しよう―――というソラディアナの悩みは、あっけないほど杞憂に終わった。

ソラディアナが何かを喋る前に、シェイリーナが嬉々として昨日の出来事を喋り始めたのだ。説明する

手間が省けたのは真に有り難いが、シェイリーナは話している間も彼女から離れようとはしなかった為

どう対応したらいいか困ってしまう。まるで、気に入った玩具を取られないように必死な子供のようだ。

いや、本当に子供なのだけれども。シェイリーナが話すの黙って聞いていたアルバートは、話がどんど

ん先に進むにつれて顔が青ざめていき、見ているこちらが心配になってしまうほど体を硬直状態になっ

てしまっている。クラウスはそれを、気の毒そうに見つめていた。

ちなみに、シェイリーナを連れてきた神官は早々に部屋から退去している。話を聞いてこのような状態

になってしまっているアルバートを見れば、その行動は正解だったのだったのかもしれない。







「ソラディアナさん、シェイリーナが大変ご迷惑をお掛けしたようで――本当に申し訳ありませんでした」


シェイリーナの話を全て聞き終えたアルバートは、少女に何か言うよりも先にソラディアナに向かってそ

う謝罪した。顔色は若干悪いものの、先程より少しは回復したようである。


「あの、気にしないで下さい。私もシェイリーナと一緒にあそこに行けて楽しかったですし」


ソラディアナは慌ててそう言うと、未だに張り付いているシェイリーナにねぇ、と同意を求める。

その様子を見たアルバートはやっと心を落ち着ける事が出来たのか、顔に余裕が生まれてきていた。


「そう言ってもらえると救われます。時々この子はあのようにふらりと精霊に頼んでどこかに行ってしま

うのですが、今まで誰かを巻き込むような事はなかったので…今度からは気をつけてないといけない

ですね。他の方が怪我でもしたら大変だ」


ソラディアナやシェイリーナは危険があっても二人を祝福している精霊たちが無償で助けてくれるが、

一般人が巻き込まれた場合はそうはいかない。下手をすれば死も有り得るのだ。アルバートはその事

を言っているのだろう。ソラディアナは確かに、と同意するように頷く。

そんな二人を見聞きして、シェイリーナは膨れっ面になった。


「シェリ、そんな事しないもんっ」


そう噛み付くように言うと、ぷいっと横を向いてしまう。その様子は見ていてとても可愛らしいが、本人

にとって真剣なのだろう。その証拠に、横を向いたままこちらを見ようとはしない。


「シェイリーナ、そういう問題じゃないんだよ。何かあってからじゃ遅いんだ。わかるだろう?」


アルバートは父親が子を諭すようにシェイリーナの前にしゃがんで言うと、頭の上に手を置いた。そし

て、一、二度優しく撫でてやる。彼の躾の方針は怒るよりも優しく言い聞かせるものであるようだ。

頭を撫でられたシェイリーナは暫くの間はぐずるようにちらちらとソラディアナとアルバート、二人の顔

色を伺っていたが、やがてこくりと小さく頷く。どうやら納得したようだった。


「次から、誰もいないところでやる」


訂正、変な捉え方をしていた。アルバートが言いたかったのは誰にも言わずに勝手に空間転移して

はいけないというものだったのだが、シェイリーナには伝わらなかったようである。まあ、彼の言葉が

少なかったのもその原因であるが。アルバートはその言葉にがっくりとし、その様子を見ていたソラ

ディアナとクラウスはお互い顔を見合わせるようにして微かに笑った。部屋は先程の雰囲気とは打っ

て変わりのほほんとしたものになる。そんな中で、ソラディアナは口を開いた。


「アルバートさんとシェイリーナって何となく似てますよね、横顔とか」


それはアルバートに会って数分経った時から感じていたものだ。目や鼻が似通っているという事では

ないが、横顔の輪郭が全く同じとまでは言わないが似ているのである。


「そうですか?言われたのは初めてです。でも、一応従妹同士なので似ていても不思議はないかも

しれません。血は繋がってますからね」


ゆっくりと立ち上がりながらアルバートはさらりとそう言って微かに照れたように微笑んだ。彼にとって

はそう言われる事が嬉しいらしい。ソラディアナは新たな事実に驚きの声を上げそうになったが、それ

を遮るような大きな声が先に発せられた為、それが音となって空気を振動させる事はなかった。


「お前に親戚なんていたのかっ!!?」


これだけ聞けばものすごく不躾な質問である。だがそう言ったクラウスは至って真面目で、顔は驚愕

一色に染められていた。よほど驚いたのだろう、声は部屋に飛び込んだ時と同じくらい大きい。


「あれ?私言った事ありませんでしたっけ?」

「ない!アル、お前王都で一緒に勉強してた時一度だってどこにも帰ろうとはしなかっただろう。それ

で俺はお前がてっきり天涯孤独の身なんだと思ってたんだぞ!」

「私はそんな事一度だって言ってません。それに、故郷はこの国なので里帰りにするには少し距離

があり過ぎます」


確かに、隣国とは言えジェニファルドの王都からこの国の領土に入るまでの距離は一日二日のもの

ではない。彼が言っているのは最もの事だ。


「っていう事は、クラウスの早とちり?」

「早とちり?」


ソラディアナが発した言葉をシェイリーナが首を傾げながらマネをする。アルバートから更に聞いた

内容に結構な衝撃を受けていたクラウスは、二人の追い討ちに再び打たれ少々肩を落とした。


「どうせライの奴は知ってるんだろうなー…」


悔しそうにクラウスはそう言う。彼の中でのライベルトの第一印象は抜け目のない嫌味な野郎と言う

ものだ。どうせ彼の事だからクラウスの周りにいる人物は全て素性を調べているのだろう。それは名

目上王子としての彼を守る事に必要な事であるが、それをネタにしてしょっちゅうからかわれていた

為クラウスからしてみれば面白くない。


「三人って、どこで知り合ったの。一緒に勉強したんだよね?」


ソラディアナがふと思った事を口にした。三人とは言わずもがな、クラウスとライベルト、そしてアル

バートである。彼らの口ぶりからして学友だったようだが、第一王子であるクラウスと一緒に学べ

るのはライベルトのように国内で然るべき地位を持つ貴族の子息だけである。身元不明では到底

傍にはいられないだろう。常識と言えば、常識だ。


「ああ。一緒に勉強したっていうか、たまたま三年間クラスが同じでつるんでたんだ」

「クラス…?」

「そういえば話したことなかったな。俺は家庭教師をつけずに身分隠して国立学院に通ってたんだ。

年齢も偽装してたなー…。ライと一緒に年齢詐称の魔術使って見た目変えてたから同い年の奴ら

が入学する頃にはもう卒業してたし」

「と、いう事は14歳で入学したの…?」

「まぁそうだな」


ちなみに、計算すれば簡単に出るが入学出来る年齢は17歳からである。14歳で入学出来たという

事は、それだけずば抜けて頭が良いということだ。身分を隠してと言っていたから、王族の圧力によ

る入学はしなかったのだろう。入学の条件項目に17歳以上と書いてあるのはそれだけ試験がハイ

レベルだからであるが、それを三年も下回る年齢で合格してしまった。正に二人とも神童と称しても

過言ではない。ソラディアナは目の前の人物を改めてすごい人物なんだと再確認した。


「でもなんで国立学院?普通王子さまとかって家庭教師がつくんじゃないの?」

「親父の陰謀だ」

「?」

「それ以上は聞くな。…思い出すだけではらわたが煮えくり返る」


そう言うクラウスのあまりの真剣さに、ソラディアナはこれ以上深追いするのは得策ではないと直感

が告げたので聞くのを止めた。その当時に何か記憶に残るような出来事があったのだろうが、これ

は本人ではないのでわからない。ただ、彼の様子からして良い思い出ではない事は確かだ。

話の矛先を失った彼女は、取り敢えず会話を絶やさない為にも無難な質問をアルバートに向けた。


「えーっと、アルバートさんはクラウスより三つ上ってことになるんですね?」

「そうですよ。今年で22歳になります」

「へー…」


今まで同い年かと思っていたソラディアナは、少々気の抜けた声を出してしまった。確かに、改め

て見てみればクラウスより落ち着いている感じもする。三歳年上と言われても頷けるだろう。


「あれ?でもアルバートさんってクラウスの事システリア様って呼んでたし、敬語ですよね?仲が良

かったならもうちょっと砕けた言い方とかしないんですか?」


そこに、先程よりかは表情を穏やかにしたクラウスが加わってくる。


「こいつは頑固で律儀だから身分がわかったその日からこの姿勢を崩さないんだ。堅苦しいったら

ない。何度も言ってるんだぞ?なのにやめないんだ」

「ケジメですから」


どうやらアルバートは、目上の人物にはこの姿勢を貫くつもりの様だ。真面目と言えば真面目だが、

クラウスはそれが嫌でしょうがないらしく、現にぴくっと片眉に皺がよっている。この調子では、ライ

ベルトにも同じような感じなのだろう。クラウスとアルバートは暫くの間その話題で押し問答が続いた

が、どうやら軍配は後者のほうにあがった様だった。面白そうだったので話には加わらず二人の横

で会話聞いていたソラディアナは、自分の裾をつんつんと引く存在に気づき、そちらに気を向ける。


「どうしたの、シェイリーナ」

「あのね、眠いの…」


話している間に結構時間が経ってしまったようだ。眠そうに目を擦りながらソラディアナを見上げて

いるシェイリーナは、半ば夢見心地のようだった。


「ああ、いつもこの時間はお昼寝をしてますからね、シェイリーナは」


アルバートは納得したようにそう言った。彼の言う通りならば、それは確かに眠たいだろう。この年頃

の子供は、昼寝が習慣になっている事が多い。


「寝かせに行ってやれよ」


クラウスが小さなシェイリーナを見下ろしながらアルバートに進言し、ほらっとでも言うように視線で

出口である扉へと視線を促す。ソラディアナはその意見に賛成してシェイリーナの手を取りアルバー

トへと渡そうとしたが、そこに待ってくださいという彼の声が入った。


「そうでした、シェイリーナをここに呼んだ目的を忘れていました」

「ただ連れて来ただけじゃないのか?」

「いいえ、実はシステリア様に見ていただきたいものがあるんです。神殿側ではどう判断すればよい

かわかりませんので。---シェイリーナ、昨日のものをお二人に見せてあげないさい」

「はーい…」


促されたシェイリーナはご眠たいながらもノロノロと長袖を捲り上げ始める。その様子を不思議そうに

見ていたクラウスは、捲り上げ終わる前にアルバートに問いただした。


「なんなんだよ、見せたいものって」

「それが、昨日から急にシェイリーナの体に異変が起きたんです」

「異変―――?」


そこに、はいっと腕を差し出すシェイリーナの声が聞こえた。その声につられて、ソラディアナとクラウ

スの視線がある一点に集中する。場所で言えば、腕の肘辺りか。




――――そこには、鮮やかに咲き誇る一輪の可憐な青い花の痣。




それを見た瞬間、心のどこかで何かが騒ぐのをソラディアナは無意識に感じ取っていた。













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