天翔る 第二章 麗しき水の都リーレン 第十九話 【伝えられる予言】 「ここではあれなので、奥の部屋にご案内致します」 突然訪れたクラウスに驚愕したままだったアルバートと呼ばれた青年は、彼の叫んだ内容をいち早く察した らしく、瞬時にそう返してきた。そして傍近くに居た補佐らしき中年の男に何やら耳打ちすると、身を翻して 隣の部屋へと続く扉へ歩き始めてしまう。クラウスは叫んだ余韻が今だ収まらぬようであったが、熱くなって も状況を判断する冷静さは持ち合わせていたので難しい顔をしたままだったが黙ってそれに従った。 腕はそのままだったので、それにつられてソラディアナも彼の後を追う。 通された部屋は、お客が訪れた際に会談したり談笑する時のもののようで、中央には凝った掘り込みの机 が一つと、向かい合いように置かれているソファが置かれていた。 「どうぞ、お掛けになって下さい」 アルバートは二人に向かってそう言うと、自分も向かい側のソファに腰を下ろした。クラウスも勧められるま ま席に着き、ソラディアナも彼の横に座る。座り心地は最上で、最高級品なのが伺えたが今はそんな事に 気づいている余裕さえなかった。 「ああ、お茶をご用意しておりませんでしたね。私とした事が――今に用意を」 「そんな事はいい。それより、あの事の方が先だ」 立ち上がろうとしていたアルバートを止めたクラウスは、返事を急かすような口調で言う。その声に含まれ ている真剣さに青年は感づいたようで、瞬時に真顔になると元の姿勢へと戻った。 今までに見たことがないような顔だ、とソラディアナは混乱する頭の片隅でそう考える。 現在頭の思考は急激に転じた事態への戸惑いと、この目で見てしまったあの光景についての事で大半を 占められていたが、どこかで冷静な部分が働いていた。そこが暗に、クラウスの今現在の表情が普段の ”彼”ではなく王子としての――もっと言えばシステリアとしてのものだと告げる。 これは、相手に有無を言わさぬ支配者の顔だと。 「わかりました。――そちらの方もご一緒に?」 何やら目を細めてアルバートはソラディアナを見、クラウスに向かって確認するように言う。その真意には これから話す内容を聞かれてもいいのかというものが含まれているようで、彼は横の彼女を一瞥した後 ああ、と低い声で答えた。 「ソラディアナは精霊の【色】を見た。黙っていてもこいつに好意を寄せる精霊が喋ってしまうだろうからな」 変な知識をつけてしまう前に話しておいたほうがいい、と続けクラウスは続け、アルバートの方を見据える。 彼は今聞いた言葉に軽く驚いたような顔をし、ソラディアナの方へ視線を向けた。 「この女性が【色】を――?もしや、それは」 精祝者だという事ですか、という言葉はクラウスの無言の肯定によって呑み込まれたが、彼の視線は未 だにソラディアナの元にある。そこには先程まで無かった筈の別の感情が浮かんでいるように伺え、じっ と見つめられた彼女は居心地悪そうに身じろぐ他なかった。 もっともそれの感情は悪意のあるものではなく、何か別の意味合いを含むものであったが。 やがて視線は外れクラウスの方へと移ったのが、どこか釈然としない思いがソラディアナの心の中に生 まれる。そっと伏せていた視線をあげてアルバートの横顔を眺めれば、その疑問は直に解決されたが。 だがその事を確かめる前に、アルバートが事態の説明を二人に向かって真剣な面持ちで話し始めてしま ったので言わず仕舞いで終わってしまう。もっとも、そう大した内容ではないから別に心配はない。 ソラディアナは今から始まる大切な話に、全神経を傾けて聞き入った。 「あの【色】が鮮やかに色づいている事を発見したのはつい最近の事です。私も初めは信じられなかった のですが―――」 簡単に彼の話を要約するとこんな感じだった。 あの幼い少女、シェイリーナは代々この水の神殿に仕えている巫女なのだという。巫女は水の精祝者で ある事が条件で選抜され、一人前になるまで徹底的な教育がなされる。今日のように礼拝堂で歌うのも 役目のうちのひとつなのだが、シェイリーナの歌声は歴代の巫女に比べてずば抜けてうまかった。 彼女が軽やかにその歌声を披露すれば、人が大勢集まるどころか沢山の水の精霊達がシェイリーナ の周りを取り囲み、嬉しそうに宙を舞ったのだという。この辺りは彼女本人が言っていた証言によって言 表されていたのだが、要するにその軽やかな歌声は尋常ではなかったのだ。 その歌の素晴らしさは都中の噂の的になり、今では観光名所の一箇所として名を連ねているらしい。 そんな中、事態が発覚したのは先代の巫女が隠居先から久しぶりに神殿を訪れ、その歌声を目の当た りにした時だった。目の衰えが出始めていた年嵩の巫女は、あの光景を見て絶句し、あまりの衝撃にそ の場に崩れ落ちしわがれた声で泣き始めてしまったらしい。 驚いた周りの人々は急いでアルバートを呼び、彼女を別室へと移したのだが、それに付き添っていた彼 に先代の巫女は自分が見たものを恐々と説明した。巫女であった人物は、決して嘘をつかない。 何一つ疑う事無く信じた彼は語られた内容を事の重大さを感じ、急いで中央神殿へと早馬を向かわせた。 それが、つい一週間前の事。 「それなら、もう着いているころか…」 全てを聞き終えたクラウスは、開口一番にそう言うと、深刻そうに溜息を漏らす。ソラディアナはアルバ ートの説明で明らかになったシェイリーナの正体に一瞬驚きを感じたが、過去の事を考えると納得出来 る部分も多々ある。意外な程にすんなりと現実を受け入れる事が出来た。 そもそも、先程から会話に上っている精霊の【色】とは、伝説などで起こる一種の神秘現象だ。普段、色 彩など持たない精霊が色づく事など、通常ありえない。神話の中では一人の人間――女であれば巫女 姫、男であれば守護騎士と呼ばれる存在がその現象を巻き起こし、数々の奇跡を起こした。 ソラディアナが驚愕し言葉を失ってしまったのは、その伝説を目の当たりにしてしまった為だ。 数年前に読んだ神話があまりにも印象深かく一種の憧れに近い思いを抱いていたのでその衝撃は並 大抵のものではない。平凡に生きている人間にとって、このような光景を目撃出来る事はまずない筈だ。 ソラディアナはこの時再度、自分が精祝者であった事を幸運に思った。 「ねぇ、クラウス…さっき言ってた水聖の巫女姫って、シェイリーナの事だよね?」 「あ?ああ…そうだな」 何やら思いつめたような顔で考え事をしていたらしいクラウスは上の空と言った感じで彼女にそう返す。 そして再び思考の渦に沈んで黙り込んでしまった。アルバートもアルバートで難しい顔をしたまま、空中 を睨んでいる。気のせいか、彼らの周りの空気は話し終えた現在でも重いままだ。この時初めて、ソラ ディアナはこの状況をおかしいと感じた。 普段、世に巫女姫、または守護騎士が誕生することは神話になってしまう程極めて稀だ。 本来ならばその誕生を喜びはすれどこのように眉間に皺を寄せ考え込むものではない筈である。 しかも、今思い起こしてみればこの話を聞かされる前にアルバートはクラウスに話を聞かれてもいいの かと確認していた。だが、先程話された内容の中にそれほど聞かれてはまずいが入っていたとは思え ない。ならば、何故わざわざ確認する必要があったのだろう。ソラディアナは考え込む二人を尻目に軽く 首を傾げた。聞きたくとも、聞ける雰囲気ではないことは明らかだが、この場に居続ける事は非常に気 まずい。暫くの間その状態が続いたが、やがてその沈黙をクラウスが破った。 「ソラ。今世界には、精霊に祝福された中でも特別な御子――巫女姫や守護騎士の事なんだが、そん な存在が二人確認されているんだ」 「…え?でもそんな話聞いたことないけど…」 「ああ、一般には出回ってない。公表してないからな」 「事情って?」 「そう簡単に言っていい事じゃないんだが――お前には教えておいた方が良いような気がするからな。 ソラは、俺がリールである事は知っているな?そんな立場上、精祝者や巫女姫といった情報が必ず俺 の元に来る事になっている。地位では、その上になるからだ――まぁそんな事はどうでもいい。丁度二 年前、俺の所に双子の男女が火聖の守護騎士と土聖の巫女姫だった事が確認出来たと連絡が入っ た。御子たちが同じ世に二人揃って生まれてくることなんて前例がない。混乱を避けて、公表してする 事は控えてたんだが――避けていたのは、それだけが理由じゃないんだ」 「……?どういう事?」 クラウスの話し方は遠まわし過ぎて、今一内容を掴む事が出来ない。特別な存在が沢山いる事は、喜 ばし事ではないのだろうか。その様子を見て察したのだう、聞け、とクラウスは落ち着いた声音で言う。 「ここからが本題なんだ。いいか、この事は国家秘密どころか世界を混乱の渦に巻き込む程のものだ。 わかっていると思うが、絶対に他言無用だぞ」 「う、うん…」 「各王国の高位職の一部の者だけしか知らない予言が存在する。それにはなこう記されているんだ」 クラウスは、淡々とした口調でその予言を暗唱し始めた。 光を掲げるものたちよ、闇を崇めるものたちよ 双方の剣が交える事久しくなく、安穏と静寂を保つとき 闇の雄たけびは、突如として世界を揺るがすだろう 今に空に月はなく、また傍らに白の存在はない 光印を持つものは、闇染まるものに出会い宿命を見つける 知れ、見よ、感じよ 誰時なく散ったその儚さは、未だ息吹を灯さない 予兆は、四つの象徴が姿現すとき さすれば、始まるであろう 彼の、涙とともに伝説の再録が 「…どういう意味?」 「未だに解読されていない。国によっては解釈さえ違うな――だが、共通して理解している部分はある。 光はラーファン、闇は――もうひとつの始竜の事を表しているんだろう。問題はここからだ。四つの象徴 、これは火・水・風・土の属性の事だ。神殿は、予兆の部分を四人の精霊を表す御子が揃った時だと認 識している」 「それって―――」 「ああ、そうだ。今の現状と酷似しすぎている。まだ風が見つかっていないからなんとも言えないが…も し、発見されれば、予言が再現されないとも限らない」 「再現って…一体何が起こるの」 「まだ正しいかどうかはわからない。だが、わかっている事は…魔物や魔族が活性化する、という事だ」 「…………っっ!!!!」 その言葉を聞いて、ソラディアナは震え上がった。魔物だけならば未だしも、魔族――魔物の更に上 位に位置するものが、活性化する。それは、世界にとって死活問題も同然という意味だ。 「ラッラーファン様は何て言ってるのッッ!?」 「―――沈黙を決めて、何も言ってこない」 「何、それ…」 「俺も理解出来てないんだ!こんな事今まで一度もなかったのに――その話題になると、心が通じな くなる。まるで、敢えてそれを避けてるみたいに、な」 ラーファンの話題になった途端、冷静さを保っていたクラウスは一瞬怒りにも似た表情を面に出したが すぐにそれを引っ込め、自嘲するような口調で微かに口を歪めながら言った。 「クラウス…」 そんな姿に、彼女は掛ける声を見つける事が出来ない。その表情は、そう、まるで――親に見捨てら れた、子供のようであったから。だが、それを直接口にすれば彼のプライドを傷つける事になる。 結局、ソラディアナには黙って見ている他ない。 きっと、クラウスにとって始竜ラーファンは己が神といった存在ではなく、まるで兄弟、又は友人、親子 といった位置にあるのだろう。そのような態度をとられ、混乱しているのかもしれない。 彼女に置き換えてみれば、身近にいる精霊に無視されるも同然の事だ。それは、半身が引き剥がさ れた事のように心を粉々にする。その感情に自らを重ねれば、震えが止まらなかった。 そんな二人に気を使ったのか、アルバートはすっと立ち上がると左隅に置かれている食器棚からカッ プを三つ取り出し、紅茶を注いで差し出してくれた。 「とりあえず、これをお飲みになって一息ついて下さい。我々が今話し合ったところで、何かが変わる わけではないのですから。余談になっちゃうんですが、この紅茶は私の実家の領地で作っているもの なんですよ?リラックス効果もありますから、どうぞどうぞ」 気楽に接してもらい、幾分気持ちが解れた二人は言われるがままに目の前に置かれた紅茶を口に含 んだ。仄かに甘い匂い感覚が、口の中に広がる。 「あ、美味しい…」 「でしょう、でしょう。自分で言うのもなんだと思うんですが、これは世界一ですよ」 「普通、そういう事は口にしないだろ…」 普段の状態に戻ったクラウスが、呆れた調子で言った。その台詞をキッカケに、三人の間にクスクス という笑い声を和やかな雰囲気が流れ出す。 「もう少しお待ち下さい、今シェイリーナを呼びにやっておりますので―――」 彼がそう言って扉に視線を向けた直後、コンコンという素朴な音が部屋中に響きわたった。 「ああ、丁度着たようですね。入りなさい」 アルバートの了承の言を受けて、固く閉ざされていた扉はゆっくりと開け放たれる。そこには、神官に よって周りを囲まれたシェイリーナが、先程の巫女服のまま立っていた。 「シェイリーナ、こちらに」 来なさい、と言い終わるのを待たず、シェイリーナは重そうな裾をずりずりと引きずりながらこちらに向 って駆け出してきた。人のいう事を最後まで聞かないというのは、この年頃ならではの象徴である。 彼女は迷い無くひとつの目的の場所目指して走った。そう、ソラディアナのいる方向に。 「お姉ちゃん!!」 そう叫びながら、思いっきり抱きつく。その衝撃に、思わずソラディアナはよろけてしまった。 そんな事露知らず、シェイリーナは尚の事彼女にひっついてくる。 「あ〜あ…」 その様子を諦めとともに見ていたクラウスは、そう誰ともなく呟く。突然の事態に困惑している皆の中 で、それを聞き取れるものは近くにいるアルバートくらいしかいなかった。 TOP/BACK/NEXT |