天翔る



第一章 始まりは告げられて

第二話 【精霊の声】




ソラディアナとラリアが王都に来て初めて迎えた朝の空は、今日行われる第一王子の誕生祭に相応しい

ほどの澄み切った色をしていた。

昨日の疲れの為か、何時もの起床時間よりもやや遅めにベットから抜け出したソラディアナは自然と出て

しまう欠伸を噛み殺しながら寝癖の付いてしまった長い髪を昨日買ったばかりのブラシで整える。

黒い癖のないまっすぐな髪はソラディアナ自身も割りと気に入っているのだが、時々ラリアのような明るい

甘栗色の髪が羨ましく思うときもある。

この事をラリアに話せば『人のものが羨ましく見えるだけ』と簡単にあしらわれてしまう事は幾ら鈍いと言わ

れるソラディアナでも予想できたので敢えて口にはしなかったが。

ある程度寝癖が直ったのを部屋に備え付けられていた鏡で確認した後、聞き手に持っていたブラシを鏡の

前にある机の上に置き、ベットの横に置いておいた鞄の中から今日の誕生祭の際に着て行く服を探しす。

ソラディアナは色恋沙汰に関してはまったくと言っていいほど無関心ではあったが、年頃の娘としては

やはり多少着飾る事に力を入れていた。

まあ、それも村の外の出た時に限ってだけであったが。

ソラディアナが村にいた頃は毎日が母親の家事の手伝いや農作業、そして昼間は村の外れにある学校

で基本的な事を学んでいたため着飾る必要がなかったのだ。

数分後、一通り出かける準備を整え終わったソラディアナは最後にはずしておいた首飾りを身につけた。

それは小石程度の大きさの石を紐に通しただけの至ってシンプルなものだ。

深い白色をしたその石を時々村に王都に向かい途中の休憩地として寄って行く宝石商人に見てもらった

のだが、今だその正体を掴めていない。

この首飾りは数年前のあるきっかけを境に毎日肌身離さず付けているものだ。

ソラディアナにとっては最早自分自身の一部と言ってしまっても良かった。







昨日パン屋で買っておいた朝食を食べ終わると、ソラディアナたち二人は第一王子の誕生祭として賑わ

っている王都を歩いていく。

昨日の数倍はいるかと予想できる人々の流れに沿って、二人で逸れないように手を繋いで歩きながら、

ソラディアナはあまりの人の多さに目が回りそうになってしまった。

お祝い事でたくさん人が訪れているからだろうか、昨日よりも多くの店が軒を連ねている道端からはたく

さんの呼び声が聞こえてくる。

王都の中心に聳え立つ神殿で誕生祭が行われるのは正午からだ。

教会内で行われる誕生祭の神儀は招待された他国の王族や国内の有数貴族しか参加できないため、

一般市民が王子の晴れ姿を拝めることが出来るのはそれが終わった後からである。

神殿内にある広い敷地の庭の前には王族が高いところから国民を見下ろすためのバルコニーが設置

されており、そこでその姿を国民は拝むこともできた。

ソラディアナはただ祭りの雰囲気を味わいたかっただけであったので、そのように人が混み合う可能性が

高い所には行く気はさらさらなかったが。








数時間は見て回っていただろうか、太陽が一番高い位置に差しかかろうとしている頃。

ここで一つの重大な危機が、ソラディアナの身に降りかかっていた。

本人は至って平気そうな顔をしながら飄々と一人で賑わっている店々を見て回っている。




-----そう、一人で。




人通りの多い道を歩いている彼女の前後にラリアの存在を見る限りには確認する事ができない。

人はこの状況を迷子と呼ぶのだが、本人にその実感は全くと言って良いほどなく、まあ何とかなるだろう

と言う楽観的な気分でソラディアナは王都見学をしていた。

割と平和と言われているジェニファルドの王都で、事件に巻き込まれることはあまりないだろうが若い娘

一人というのは何かと危険だ。

ごろつきがしつこく誘ってくる時もあれば、酔った男が絡まってくることもある。

若い娘の力ではまったくと言っていいほど歯が立たないのだ。

その事を普通の娘ならちゃんと心得ていて、出かける時は友人と二人でか、男を一人連れていくのがこの

国に限らず世界でも常識とされている。


そのような状況下で、今のソラディアナの姿はあまりにも無防備と言ってしまってもよかった。

あくまで、客観的に見た場合での意見ではあったのだが。

別に、その常識が彼女から欠けているという訳ではない。

それでも、ソラディアナがこのように一人になっても平気でいられるのは、一重に男に絡まれてもいいように

されるという事がないためだ。

その理由として、今回のジェニファルド国立学院の試験免除が上げられた。







精祝者、と呼ばれる者がこの世には存在する。

呼ばれているその名の通り、精霊に祝福された者という意味合いを持つその存在は、あまりにも稀と言って

も良いほど珍しく、数年に一度という割合でしか世界に誕生していない程であった。

普段、この世界の者が魔術を使う際には一時的に契約を結んだ各属性の精霊の力に己の魔力を加える

必要があり、それなりのリスクが存在した。

己の魔力と言っても、全ての人間がその魔力を体内に潜めている訳ではない。

あくまで、ごく一部の者たちだけが魔術を駆使する事ができるのだ。

そして、魔術の威力は各自の持つ魔力の大きさによって違い、より多くの魔力を持つ者が各国の城付きの

魔術師となっていることが多かった。

一方、そのような魔術師と比べて、精祝者と呼ばれる者は無条件で精霊に愛されていることもあり契約を

必要とせず、そして更に己の魔力も使わずとも精霊の力だけで普通の魔術とは比べ物にならないほどの

威力が出る技を使う事ができる。

その力を世界では魔術とは呼ばずに精霊術と読んでいた。

精霊の中には四つの属性が存在している。

精祝者の大半は、一つの属性の精霊に愛されており無条件に使える精霊術もその属性だけと限られている

のだがそんな中、本当にごく稀に複数の属性の精霊に愛される精祝者がいた。

その存在が、ソラディアナである。

彼女に危害を加えようとする者は、ソラディアナの意思に関係なく精霊によって排除されてきた。

このような存在を、国がほかっておく訳がない。

その力が暴走しないように制御の仕方を覚えるためにも、この国で知識を学ぶには最高機関である国立学院

に入学する必要がある。

試験が免除された理由は、主にこの二つが理由と言えるだろう。












ラリアと逸れてから小一時間はたっただろうか。

相変わらずその賑やかさが衰えない店々がある本通りから抜け出し、住宅の間にある公園に、ソラディアナ

はずっと歩きっぱなしだった足を休ませるために訪れていた。

そこは本道りから少し外れているからだろうか、敷地内には遊んでいる数人の子供の姿しかいない。

公園内に植えられている木々の合間からは小鳥たちの囀りが聞こえ、少々湿り気をおびた初夏の風がベン

チに腰を下ろしたソラディアナの頬を軽く掠める。

その心地よさに、多少の疲れもあったせいか彼女に眠気が襲ってきたのも無理はなかった。

そんな、平和な時間が流れている中で。




それは、突然ソラディアナの耳に聞こえてきた。




まどろんでいた彼女の耳に囁かれてきたものは、ほんの微かな風の精霊の声。

始めはあまりにもその声が小さすぎて気づく事ができなかったが、次第にはっきりと聞こえるようになりソラ

ディアナの眠気を徐々に拭い去っていく。

精祝者は祝福されている精霊の力を無条件に借りられるだけではなく、彼らの声を聞き取る事もできる。

彼ら精霊が自分たちの愛おし子に囁きかけることはよくあることで、ソラディアナからしてみれば風の精霊が

自分に声をかけてくるのはいつもの事であった。

しかし、今回の彼らの囁きは何故か、何時もと違うような気がソラディアナはした。

彼ら精霊の声に、歓喜と焦りが混ざっているような気がするのだ。

何度も何度も彼女の耳に囁きかけてくる風の精霊たちは、繰り返し彼女に同じ事を伝える。



『来て、来て、来て。待ってる、待ってる、待ってる。こちらに、導くほうに。来て、来て、来て』、と。










精霊の声に導かれるままに訪れたところは、王都の片隅にぽつんと存在する一軒の酒屋であった。

昼間だからかあまり人が出入りしているという雰囲気はなく、見た目もがらんとしている。

夜になれば賑やかになるのだろうが、今ままだ夜というには早すぎる時間だ。

一瞬中に入ろうか迷ったソラディアナではあったが、精霊たちが耳の元で早く、早くと急かしてくるのに押さ

れて、入り口に勇気を振り絞って足を踏み出した。

そして目に飛び込んできたのは、昼間から飲んでいたのか、酔いつぶれて眠ってしまっている数人の男と

カウンターに一人座っている青年。


「あら、可愛らしい娘さんがいらっしゃったわ。そんな所にずっと立ってないでこちらにいらっしゃいな」


少々呆然としていたソラディアナの耳に飛び込んできたのは、聞くからにはとても優しい、艶を含んだ二十代

後半と思われる女の声であった。

その声に反応するように一瞬にして我に返った彼女は自分が今何処にいるのかを思い出し、顔を赤くする。

覚悟を決めて入ってきたが、やはり恥ずかしいものは恥ずかしかった。

普通、年頃の娘がこのような酒場に訪れることは滅多にない。

幾らお酒をのんで良い年齢になっていたとしても、男ばかりが集まる場所に行くのは憚られている。

そんな所に、一人で入り込んでしまったのだとソラディアナは後からになって後悔した。

しかし、今更そんな事を思ってもしょうがないと腹を括ったソラディアナは、自分を呼んでくれた女の人の所

まで行くと、青年の座っている席から一つ離れた所に設置されている椅子に腰を下ろす。

その様子を微笑ましく眺めていたのか、先ほどの女の人、いや、店の女主人は優しく声をかけてきた。


「あなたみたいな可愛らしい子が家に来てくれてすごく嬉しいわ。ほら、ここって酒屋でしょ?来るのは野郎

ばっかりでむさいんだもの」


その言葉に思わず笑ってしまいたくなったソラディアナは、慌てて口元を押さえながら先ほどから張り詰めて

いた緊張を緩ませた。

そして改めて目の前にいる店の女主人に顔を向ける。

長い赤色の優雅に波打つ髪を頭の上で一つに纏めており、服の谷間からは大きな胸が見えている。

顔は、一言で言えば美人だ。

しかし、ただの美人という訳ではなく妖艶を危うさを兼ね揃えた美しさ。

今のソラディアナが何一つ持ちあらせていないものばかりだった。


「それにしても、こんな所に一人でどうしたの?今日は誕生祭なのでしょう?」


多少疑問に思ったのか、店の女主人がソラディアナに手ごろな果実酒を渡しながら問いかけてくる。

その疑問は普通の者なら気になるものであっただろう。

ソラディアナは精霊の声に誘われてここまで来たなどと言える訳もなく、偶然思いついた言い訳を慌てて

口にした。


「ええっと、そうなんですけど一緒にいた友達と逸れちゃって。どこを探してもいなかったので、ひょっとしたら

お酒好きの彼女の事だから酒屋にいるかなって思って」


ほぼ、百パーセント嘘で塗り固められたその言い訳に詳しい事情など全く知らない女主人は疑うこともなく、

まあそれは大変ねと同情を示してくれたのでソラディアナはほっと息を吐いた。

しばらくの間会話は弾み、果実が半分ほどなくなった頃。

店の女主人、リーアはちょっと酒を持ってくるからと店の奥にある倉庫へと行ってしまった。

急に暇になったソラディアナは、あまり来ることのない酒屋という店をもう一度見回してみようと首を左へと

動かしす。








そこで、隣にいた青年と思わず目が合ってしまった。

お互いに、息を呑んだのがわかる。







この感覚を、何と言えばよいのだろう。

旋律のように体を駆け巡る衝動に、ソラディアナはただ呆然とする他なかった。








ただ、ひとつ理解することができるのは。

----隣にいる青年が深い海のような青色をしているということだった。







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