天翔る 第二章 麗しき水の都リーレン 第十八話 【神話の聖歌】 隣に座っていたクラウスは、そう口にしたソラディアナの言葉を聞き逃す事はなかった。 驚き言葉なく固まっている彼女を横目でちらっと確認すると、シェイリーナと呼ばれた子供を再び見つめる。 数人の神官に促されるようにして歩いているその幼い少女は、己を包み込む歓声に慣れた様子で狼狽する 事なく静々と中央の祭壇に向かっていた。その様子はどこか大人びて見えて、幼い外見には似つかわしい。 「…あの子が昨日会った女の子なんだな?」 彼女の驚きようでだいたいの状況を呑み込めてはいたが、一応確認の為にクラウスはソラディアナに問いか ける。しどろもどろしつつも、次第に思考が落ち着いてきた彼女はうん、と一つ彼に向かって頷く。 予想通りの答えを聞き、驚きを隠せないでいる隣の彼女を見てクラウスは苦笑いが漏れた。ソラディアナも、 こうも簡単に探し出す事が出来るとは思っていなかったのだろう。しかも、あのように神官に囲まれて歩いて いるという事は明らかに何らかの神職に就いている筈だ。 巫女服を着ているが、それでシェイリーナが巫女であるとは断定出来ない。巫女服は様々な式典に多種多 様で使われているため、一概にはそうであると言えないのだ。 人々の歓声は止まる事を知らず、今だに礼拝堂全体を熱気と共に包み込んでいた。 「まぁ、取り敢えずこんな形ではあったが、見つかってよかったな」 「う、うん。そうだね。本当に驚いちゃったけど」 ある意味、クラウスが王子だと判明した時と同じように。そうは言ってもあの時はすんなりと現実を受け入れ れたのだが、今回はちょっとだけ夢なのではと思う部分も存在した。 いや、現実を受け入れれたという言葉には少し語弊があるかもしれない。学院に入る前までは貴族や王族 と言った階級の者たちとは関わりが全くなかった為、実は王子でしたなどと明かされても今一実感が湧かな いのだ。もちろん、愛国心や王族を崇める気持ちは国民皆に存在する。しかし、実際に会ってこうして一緒 に旅している相手がそのように偉い人物であるとはどうも認識し辛いのがソラディアナの気持ちであった。 それに、彼が王子だと考えるとどうも左腕の腕輪が異様に気になりだす。 暫くの間は綺麗に忘れてしまっていたが、自分の知らない所で結婚話が持ち上がっていたらしいのだ。 しかも古代形式では彼と夫婦関係にあるらしい。こちらも又王子の件同様実感は全くないが、他人にそう 言われるとどこか気恥ずかしかった。そんな彼と、世間体で認められる事となる結婚の話。 もしそれが実現してしまえば彼女は次期王妃である。考えただけでもその規模の大きさに頭痛がした。 自分はただほんの少しだけ精霊に愛してもらえた田舎者なのだ。そんな事など、夢にも思った事などない。 「ん…?でもあの子供の着てる巫女服は―――」 ソラディアナがそんな風につらつらと物思いに耽っている最中、今までシェイリーナを何と無く眺めていた らしいクラウスが何かに気づいたらしく何やら驚いた様子でそう口にした。 そしてそのまま、何か考え込むように片手を顎に添えて黙ってしまう。心なしか、眉間に皺がよっている。 それをどこか不思議に思ったソラディアナは、どうしたのかと尋ねようとした。が、言葉がその口から発せ られる前にシェイリーナたちが中央に到着する。そして神官でも高位に見える厳かな顔立ちをした者が、 集まっている者達に向かって喋り始めた為、黙る事を余儀なくされたのだ。 「聖なる日に清き神殿にお集まりの皆様、この度は我らが創造神である始竜ラーファンとこの都に水の 恵みを与えて下さる精霊王リーレンを崇め祈りを捧げる為にお集まりの事でしょう――――」 そうして長々と、聖書の冒頭に載っている内容を話続ける。周りにいる人々は先程の歓声が嘘のようにし んと静まりかえり、瞼を閉じて一心に聞き入れていた。が、急に雰囲気が変わってしまった為どこか居心 地悪くなってしまった彼女はそわそわとするばかりである。 クラウスにこっそり話しかけようにも、何やら考え込んでしまっている為躊躇してしまった。 彼がこんな風になるのは大変珍しい。手持ち無沙汰になったソラディアナも一応目をと閉じて周りに習っ てみるが、今一集中する事が出来ずに早く話が終わらないかなと思ってしまう。 信仰心はあるのだが、村に神殿や教会などなかった為あまりこのような場所には慣れていないのだ。 やがて神官の話も佳境に入ったらしく、目を開けて祈りの態勢を解く人々も目立ち始めてきた。 ソラディアナも閉じていた瞼を上げて、シェイリーナの居る場所へと視線を無意識に向ける。 彼女は膝を折って祈っていた姿勢をもとに直し、祭壇の前に置かれた台へと進んでいる様であった。 これから何かするのだろうか。昨日会ったばかりでこの少女の事を詳しく知っている訳ではないが、やはり 同じ精祝者のよしみで行動一つ一つが気になってしまう。あの湖で聞いた話や予想した内容も含めて。 「では、ただ今からは、始竜ラーファンと精霊王リーレンに捧げる聖歌を」 先程まで熱く語っていた神官がそう言った。それと同時に、礼拝堂の片隅に設置されていたパイプオルガン が音を奏で、脇に控えた少年少女の聖歌隊が、そのリズムに合わせて歌い出す。 ここまでは、一般的なミサでの風景である。学院が休みの時ラリアやサーシャなどと王都観光に繰り出して いたのだが、その折中央神殿の傍近くを通った時に十歳前後の子供たちが歌っているをしているのを目撃 した事があった。一緒にいた王都在住のサーシャに聞いてみた所、聖歌隊の候補生達が発声などの練習 をしていたらしい。村では見かけた事がなかった為、ついつい興味を引かれて立ち止まったのを覚えている。 隣のクラウスは今だに黙り込んだままの為、邪魔しないように気をつけながら澄んだ歌声に耳を傾けた。 自分だって、考え事をしている時に話しかければむっとしてしまう。一緒に旅をしているとは言っても、最低 限の遠慮はしていかなければと、常々己に言い聞かせてきた。 これは、大人っぽいラリアに教わった事である。彼女は生活において必要な知識を暇な時に伝授してくれた 為、非常に役に立っていた。どこか抜けているソラディアナを心配してそうしたのだろう。 当の本人はその事実に気づいてはいないのだが。 観衆は、意識しなくても心に直接流れ込んでくる歌をうっとりとした様子で、誰一人声を出したりはしない。 礼拝堂には、軽やかな高くしなやかな聖歌だけが響き渡っていた。 行方を祈る、我らが愛し子たちのために 溢れる生命、光り輝くその生きる力は始竜を守る礎となりて これは、世界全体でも一般的に知られている神話を題材にした歌だ。 最初に始竜ラーファンに関わる歌詞が綴られ、次第に彼が生み出した風、土、火、水の精霊王の創造話の 歌詞へと変わっていく。前者の部分は聖歌隊全体で歌われるが、後者は選抜された一人だけが歌う事を 許されていると以前聞いた事があった。実際に、精霊王のフレーズに入ってからは聖歌隊の中から一人前 へ進み出て独唱している子供が目に映る。初めは、風の精霊王からだ。 時には静寂を、時には疾風を纏う≪風≫の冠を受けし者 大気に生命の息吹となる力を注ぎ込み、神からフェルスタと名づけられた 民は言う、かの者を風の精霊王と 歌い終わった子供が一礼して元の位置へと戻り、続いて土の精霊王を独唱する子供が前に出た。 時には慈愛を、時には憤怒を纏う≪土≫の冠を受けし者 母なる大地に育み見守る力を注ぎ込み、神からレーシャンと名づけられた 民は言う、かの者は土の精霊王と 次は、火の精霊王。 時には静粛を、時には浄化を纏う≪火≫の冠を受けし者 技たる力と己を守る学を教え込み、神からルエンダルスと名づけられた 民は伝える、かの者は火の精霊王と すうっと一度息を吸った後、歌い終わった子供も下がる。ソラディアナはぼんやりとした心地でその様子を 眺め、最後のフレーズである水の精霊王を歌うであろう子供が前に進み出るのを待った。 が、暫く待っても聖歌隊の中から動き出す者は一人として見受けられない。不審に思って首を傾げたところ、 思いもしなかった場所から軽やかなる歌声が聴覚を刺激した。咄嗟に驚いて、そちらへと視線を向ける。 案の定、そこにはシェイリーナの姿。昨日聞かせてくれた歌声と同じ調が、会場全体を包み込む。 時には治癒を、時には厳粛を纏う≪水≫の冠を受けし者 たった一行のフレーズを歌っただけにも関わらず、その場に居る者すべてがその歌声に魅了された。 中には思わず立ち上がって呆然とする者や、神に祈るように手を組んで涙を流す者までいる。昨日以上の 力量を持って歌われるその声に、ソラディアナも我を忘れそうなった。 が、そうなる前にそれ以上の驚愕が彼女を襲う。ソラディアナは、視界に映る光景が、事実だと認識する事 が出来なかった。いや、出来なかったのではない。考える機能が、停止してしまったのだ。 そうしている間にも、歌は止まらない。 恵みたる潤いと癒しの学を教え込み、神からリーレンと名づけられた 踊り、舞っている。【色】を身に纏った、水の精霊達が嬉しそうに。 民は伝える、かの者を水の精霊王と 呆然と言葉を発する事さえ出来なかったソラディアナは、気づかなかった。隣に座るクラウスが、今まで 見たことがないほどに顔を顰めている事に。そして彼は未だに虚空を眺める彼女の腕をいきなり掴むと、 予告もなくいきなり立ち上がって言った。 「出るぞ」 「でっでも【色】が…」 「わかってる。だから、早くしろ」 そう言葉にすると、足に力の入っていないソラディアナを引きずるようにして出口へと無言のまま歩き始 める。彼女も、無意識のままそれに従った。 彼らが去った礼拝堂からは、割れんばかり喝采と歓声が止むことなく一人の少女へと贈られ続ける。 それが、ソラディアナたちの耳にその声々が届くことはなかった。 お互い黙々と、一言も口を利かずに一時間ほど前に歩いた廊下を歩いていた。 ソラディアナの腕は現在もクラウスに掴まれたままであり、内にある感情に捕らわれたまま放す事を忘れ てしまったかのようである。彼女も、されるがままになっていた。 いや、彼女も彼と同様にある種の思考に捕らわれてしまっているのかもしれない。 クラウスはたまたま通りかかったらしい神官を見つけると、掴んでいた腕をやっと放し、必死の形相でいき なり壁まで追い詰めた。あまりにも突然の行動だ。彼がこんな事をするのは、あの腕輪の事件以来かも しれない。訳が解らない事態に顔を青ざめたままの神官は、何やら聞き出しているらしいクラウスに怯え た口調で答えると、その場にへたり込んでしまった。大方、腰が抜けてしまったのだろう。 彼はそんな神官に脇目も振らずに、再びソラディアナの片腕を摘むと、今度は明確な意思を持って歩き 始めた。こればかりは、咄嗟に彼女も尋ねてしまう。 「どっどこに行くのっ!?」 「あいつの所だ!!」 一秒も待たずにそんな返事が返ってきた。通行止めと掲げている立て札を強引に横へと倒すと、クラウ スは今にも走り出しそうな勢いで神殿の奥へと進んでいく。 ソラディアナは転びそうになりながらも必死でその後を付いていった。いや、腕をとられてしまっている為、 そうせざる得なかったのかもしれない。やがて、見えてきたのは一つのごく平凡な扉。 それをクラウスは、手を使うことなく行儀悪くも足でこじ開け、周りの光景も見ずに第一声に名前を叫ぶ。 「アルバート!!!!」 それに対して、返ってきたのは何とも驚きに満ちた声。 「シっシステリア様っ!?」 どうしてこんな所に―――といった感情がありありと含まれているその声に、クラウスは反応する事なく 第二声を発した。それはもう、耳の鼓膜が破れんばかりの大声で。 「どうして水聖の巫女姫がここにいる!?」 静かな空間に、その声だけが染込んでいった。 TOP/BACK/NEXT |