天翔る



第二章 麗しき水の都リーレン

第十六話 【厄介事は彼女の性】




「ソラ、ソラ。おい、起きろソラ」


ここ数週間で聞きなれた低いテノールの声が、先程から深い眠りの世界へと旅立ってしまっているソラディアナ

の意識を起こそうと何度も名前を読んでいた。

クラウスの片手で寝ている体を何度か揺すられ、さすがの彼女の意識もだんだんと現実へと戻ってきている。

しかし今の眠りが余程心地が良いのか、ソラディアナは中々意識を完全に覚醒させようとはしなかった。


「おい、いい加減起きろよ。とっくの昔に日は昇ってるんだぞ?」

「ううん…あとちょっと」


そう言い、ベットの中へと潜り込んでしまう。

クラウスはそんな彼女の様子に呆れ果てながらはぁと一つ溜息を付いた後、「あのなぁ」と言葉を続けた。


「お前俺より先に寝てた癖にどうして起きるのがこんなに遅いんだよ。そろそろ正午だぞ?」

「うん、正午…」

「…ちゃんと理解してんのかよ」


思わずそんなツッコミが入ってしまう。

クラウスは夜もとうに更けた時間帯に泊まっていた宿屋へとこっそり帰ってきたのだが、その時にはもう彼女

はぐっすりとベットに体を丸めて寝ており、睡眠時間からしても彼より数時間長い筈だ。

しかしクラウスが眩しい朝日で目を覚まし着替え終わっても、ソラディアナは一向に起きる気配はなかった。

今彼らは部屋が満室という事で二人部屋に寝泊りしているのだが、その事に関しての危機感もまるでないと

いった様子でソラディアナの寝顔も安心しきったものである。

一応年頃の娘が男と同じ部屋にいるのだからもう少し警戒心を持ったほうが良いと思うのだが。

今まで野宿の数え切れないほどしてきたが、その時も襲われるという心配は全くしていなかったようで火の

番をしているクラウスの横ですぐに寝入ってしまうのもざらだ。





------------あまりにも、無防備過ぎる気がする。

他の男の前でもこうなのだろうか。それとも、自分は対象外とでも思われているだけか。


「-----って何考えてんだ俺…」


クラウスは自分でも理解不能なこの感情を無理矢理頭の軽く左右に振って思考の隅へと追いやり、彼女を

起こす事に本腰を入れることにした。そろそろ本気で起きてもらわないと、馬を見る時間が少なくなる。


「ソラ、いい加減に起きろ!お前の馬を見に行くんだぞ、ほら!」


先程よりもやや声を張り上げ、眠っているソラディアナの肩を両手で持ち上げ上半身を力ずくで起こさせた。

そこまでされてはさすがの彼女も目が覚めたようで、重そうな瞼を半分程開けぼーっと目の前にある彼の

顔を暫しの間見つめる。傍から見たら、見詰め合う恋人同士に見えなくもない。

だがこの二人にそんな甘い雰囲気などある訳もなく、クラウスはソラディアナが覚醒するのを辛抱強く待って

いるだけである。しかしその事が、完全に目覚めた彼女を驚かす原因になってしまった。

ソラディアナの焦点の合っていなかった瞳が、覗き込んできているクラウスの瞳とかち合う。ここで普通なら

ば例え時間が遅くとも「おはよう」と言うべきなのだろうが、彼女の場合は。


「-----------っっ…!!!」


目を見開いて、言葉を詰まらせながら驚くというものであった。

クラウスはそんな彼女の様子に少し眉を寄せ、不機嫌そうな声をそっと出す。


「何驚いてるんだよ?」

「いっいやうん、何でもないよ」


ソラディアナは乾いた微笑みを顔に浮かべながら、自分で不機嫌にしてしまった彼にごめんと一度謝った。

そして今だ不審そうに見下ろしてくる彼に気づかれないように、そっと顔を反らした後心の中で一度ほぉっと

安堵の溜息を付く。彼女からしてみれば、起きて一番最初に目に飛び込んできた風景が男の顔でしかもも

の凄い美形ときたら絶句する他なくなってしまう。

その顔を見慣れてはいるのだが、不意打ちというのは体に毒というものだ。

居心地の悪い視線から逃げるように窓の外へと視線を向けてみれば少し紫外線を含んだ日光が明るく部屋

へと差し込んでおり、通りからは子供達のはしゃぐ声や大人の談話の声などが耳に届いてきた。

視線を逸らしても頭上からクラウスの視線を感じるのいたが、敢えてそれは気にしない事にする。

暫くその状態が続いたのだが、そうしているうちにソラディアナはふと重要な事を思い出した。


「そう言えば私、いつの間に宿に戻ったんだろ…?」


彼女の記憶には、シェイリーナとあの不思議な場所で寝入ってしまったところまでしかない。自分の足で宿

まで帰ってきたのならばちゃんと記憶があるだろうし、無意識に戻ってきたなんて事はないはずだ。


「はっ、そう!シェイリーナ!!」


過去を回想しているうちにあの少女の事が気がかりになり始め、心の焦りの色が濃くなっていく。

自分がどんな理由でかは解らないがこの宿で寝ていたという事は、あの湖のある場所に幼い少女一人を

置き去りにしてきてしまった事になる。彼女は精祝者な為危険はないだろうが、そういう問題ではない。


「ああ、どうしよう…」


再びあの場所に行こうにも、行き方が全く解らない。自分が知らない内に戻っていたのだからシェイリーナ

も自分の家へ戻されているかもしれないが、それは単なる想像で現実は違うかもしれないのだ。

クラウスは何やら頭を抱えて動かなくなってしまったソラディアナの様子を頭痛でもするのかと困惑気味に

見ていたが、そうではないようである。


「おい、大丈夫なのか?」

「へっ?あ、うん」


彼の心配げな声音を含んだ問いかけに、考え込んでいた彼女は無意識に間抜な返事を返してしまう。

クラウスは慌てたように視線を合わせたソラディアナの様子を少し探ったが、いつまでもそんな事をしてい

ても仕方がないと考えたのか敢えてそれとは違う話題を話しかけてきた。


「それより早く着替えろ。置いて行くぞ」

「え?置いて行くって何処に…」

「おい…忘れてんなよ。お前の馬を買うんだろ?ほんとに時間がないんだからな」


五分で着替えて降りてこいよとクラウスは言い残すと今だベットの上の彼女を置いてさっさと部屋を出て

行ってしまった。自分が居ては着替えれないとでも考えたのだろう。ばたん、とドアと閉まる音が聞こえる。

自分の馬を買う為にこの首都まで来たのだとやっと気づいたソラディアナは、慌てて寝ていたベットから

下り、出来る限りのスピードで服を着替えた。何せ今はクラウスが言う通りならば正午である。

随分遅い時間まで寝ていたものだと我ながら関心するが、これ以上彼を待たせてしまうのは申し訳ない。

それに、シェイリーナの事も気がかりである。


(私一人で悩んでもしょうがないよね。シェイリーナの事を行く前に相談しよう)


そう心に決めながら彼女は袖に腕を通した。







「いた!」


素早く出掛ける用意をし、クラウスが待っているであろう一階の食堂へと降りていったソラディアナは逸早く

椅子に腰掛けて頬杖をついている彼を見つけ、早足でそちらへと向かっていった。

彼女がこちらに向かってくる事が気配でわかったのだろう、辿り着く前にクラウスがそちらへと顔を向ける。

彼はそのまま座っていた椅子から腰を上げ立ち上がろうとしていたが、慌てて駆け寄ったソラディアナがそ

れを静止した。クラウスが「何なんだよ」とでも言いたそうな顔で見返してくる。

彼女は待たせた上に更に時間を潰そうとしている自分に少々後ろめたさを感じたが、今はシェイリーナだ。


「あっあのね---」






昨日の出来事を説明する事約数分。

話していくうちにクラウスの眉間に皺がよっていくような気がしたが、気のせいという事にしておく。

話した内容は主に、水の神殿やシェイリーナ、あの湖のある場所での事だ。全てを話し終えて内心どんな

反応をするかと身構えていたソラディアナの耳に、彼の何とも重たそうな溜息が聞こえてきた。


「何でお前ってそう厄介事に巻き込まれるんだよ…」

「厄介事って…」

「だってそうだろ?この腕輪の事だってお前は単なる被害者だし、簡単に言えばライの悪巧みに巻き込ま

れたんだ。旅だって本意ではないだろうし…それに、今回の件」

「むっ…」


そう言われては何も言い返せなくなってしまうソラディアナは、一瞬言葉に詰まるが、何とか持ち直す。

ここでへこたれている場合ではないのだ。この広い王都の中でたったひとりの少女を探すのは不可能に

近いかもしれないが、やらないよりは良い筈である。ようは、心根の問題だった。

旅の出発は多少延びてしまうかもしれないが、そこまで焦っている訳ではないので大丈夫であろう。

ソラディアナは勝手にそう結論を出し、ぐっと決意を込めた目でクラウスを見つめた。彼にも手伝って貰い

たい。そう頼もうと口を開きかけた彼女だが、言葉が発せられるよりも前にクラウスが先に動きをみせた。

座っていた椅子から腰を上げ、そのまま出入り口の扉へと向かって行ってしまったのだ。

予想外の展開に一瞬の間だけ呆然としてしまったソラディアナだったが、慌ててそのあとを追う。


「どっ何処行くのっ?」


その彼女の言葉に、歩いていたクラウスの足がその場に止まった。さっと、近づいてきたソラディアナの

方へと振り返る。


「だから、行くんだろ?」

「え…」

「え、じゃなくてだな。だから、その子供を探しに」

「うっうん」

「だったらモタモタするな。あんまりこんな人が集まる首都に居るとあいつらに見つかる可能性が高くなる

んだから、さっさと見つけてずらかるぞ」


そう言い、再び歩き出す。ソラディアナは多少困惑しつつ、彼の後ろに続いてその場を後にした。









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