天翔る



第二章 麗しき水の都リーレン

第十三話 【水の都リーレン】




人生の中で初めて訪れた場所は、そこがとても華やかで印象深い場所ならば記憶の片隅にしっかりと刻まれ

人々に忘れられる事無く思い出として残り、時には親から子供へその素晴らしさが言い伝えられていく。

ソラディアナが今立ち尽くしている土地も、訪れる者達を圧倒させるには十分な輝かしさを持ち合わせていた。

首都の中心地とされる場所には広大な宮殿が建てられており、道という道の横には清らかな水が流れている。

この地の名を人々はジェニファルドの首都同様、別名で【水の都リーレン】と呼んだ。

リーレンとは始竜が生み出したとされる水の精霊王の名前であり、この国の人々はラーファンと同じようにその

精霊王を崇め信仰をしている。それがこのシーラン国の特徴とも言えた。

この国全体にもその影響は強く反映しており、水運や漁業など水による資源が豊富なのは世界でも有名だ。

経済の要となる首都も水の都と呼ばれるだけはあり、水の精霊による加護が厚い。

水の精祝者であるソラディアナからしてみてば此処はとても居心地に良い場所であり、何よりも自分を優しく

包み込んでくれる水の精霊の気に心が癒されていくのを感じる。

まるであの白い夢の中にいるような錯覚さえ覚えた。

それほどまでに、彼女が立っているこの土地は水の精霊に愛された場所なのだ。


「おい、ソラ。ぼーっとしながら歩くなよ。下手したら迷子になるぞ」


水の精霊の気を全身で感じながら歩いていたソラディアナに、クラウスは呆れたように声をかけた。

初めての出会い時に彼女は迷子状態であったという前科があるために、気を抜いてはいられない。


「迷子になんてならないよ!私そんな子供じゃないんだから」


王都初日での自分の失敗を完全に忘れてしまっているのか、微かに怒りを含んだ瞳を彼の方へと向ける。

クラウスはそんな彼女の様子に、これは幾ら言っても理解してくれないだろうと半ば諦めを滲ませた溜息をつく

と横に向けていた視線を前へと戻した。

今歩いている場所は観光客などで賑わう通りから二つほど離れた通りなのだが、見渡す限りでは人がたくさん

行き来きており道の隅では大道芸などを披露している一団がいる。

これで何かの祭典や大掛かりな行事が行われる事になれば身動きが取れなくなるほど人が多くなるだろう。

そうなれば隣を膨れっ面で歩いている彼女と逸れてしまう可能性が大きくなるわけで、クラウスは心底そのよう

な日と重ならなくてよかったと思った。


「ああ…ところでソラ。俺は宿屋に荷物置いた後出かけなきゃいけない所があるんだが、お前どうする?宿屋で

休んでるか?それともこの首都の観光でもしてるか?」


しばらくの間二人は会話もなく黙々と歩いていたが、急にクラウスが思い出したかのようにそう言った。


「え?何処か行くの?」


宿屋に着いた後は数時間ほど休息するものだと思っていたソラディアナは、驚いたように目を開きながら彼の

方へと目線を向けた。何せ此処まで辿り着く為に徹夜して馬を走らせてきたのだ、お互い疲れが溜まっている

のは当然で彼女も先程から眠気が襲ってきている。

しかし見上げた先のクラウスは疲れ知らずのような表情をしており、彼女のように眠たがっている感じもない。

授業での体術でしか体を動かしていなかったソラディアナに比べて、普段から教養としてクラウス剣を扱って

体を鍛えていたのだ。男女という事を差し引いても、その体力差は明らかであろう。


「ちょっと用事があってな。遅くても明日の朝方には戻るから」

「わかった。…じゃあ私はちょっと寝た後に首都の中をぶらぶらと歩いてみようかな」


現在は人々が活気付いてき始めた時間帯であり、二時間ほど寝た後でも日が暮れるまでは十分時間ある。

今回この首都に訪れた理由はソラディアナの乗る良馬を買い求める為で決して観光に来たわけではない。

今はクラウスの馬の背に二人乗りをしているが、これから旅を続けるにあたってずっとこのままで良いとい

う訳にもいかず、今回旅の合間に乗馬の仕方をクラウスに教わったソラディアナの為に駿馬が揃っていると

噂に聞いたこの首都までわざわざ足を運んだのだ。

彼女からしてみればそんなに良い馬でなくともいいのだが、クラウスが馬に対しては並々ならぬ感情を抱い

ているようで、賢く素早い馬でなくてはいけないと頑固として譲らず、今に至ったのである。

明日からは何箇所かの馬売り場を訪れ、吟味する予定だ。

よって今日の機会を見逃してしまっては、水の都リーレンを心行くまで見ることは出来ないだろう。

やんごとない事情で旅をしている二人が一箇所に留まり続けるという行為は、あまり適切ではないためこの

場所も三、四日留まったらすぐに出発する予定になっていた。


「お金は前に渡しておいたのがあるな。…あんまりはしゃぎ過ぎるなよ。精祝者だからある程度の危険は回

避出来るだろうが、気をつけるに越したことはないからな」


クラウスはそう言い、心配そうな目でソラディアナを一度だけ見つめる。

彼は自分の中の第六感と呼ばれるものが何か起こると予測しているのは気のせいだと思いたかった。

------大体そういうものは、当たってしまうのが世の中の常だと決まっているのだが。








それから数分して着いた宿屋にてしばし休息をとったソラディアナは、当初の予定通り首都の観光をするべく

用意を済ませその場を後にした。相変わらず銀の腕輪は外れることなく左腕に嵌められているが、時が経て

ばその存在にも慣れるもので今はあまり気にしていない。もちろん夫婦云々の事は抜きにしてであるが。

しばらくの間彼女は露店や旅芸人が行う見世物などを見て回り、自由な時間を楽しむ。

水を好むこの首都の人々が設置した噴水も街並みの中でよく見つけることができ、時折その噴水の前でい

ちゃついている恋人を見れば何故かソラディアナ自身が恥ずかしくなり、急いでその場から離れたりもした。

そんな風に過ごして一時間が過ぎた頃であろうか。歩いている通りからだんだんと回りに家々が少なくなっ

ていき、気がついた時には目の前に巨大な建物が聳え立っていたのは。

そこの入り口らしき所からは多くの人々が出入りをしており、子供達は近くにある整った庭で遊んでいる。

大人達はそんな子供達を見守りつつ、談話を楽しんでいるようだ。

一見するだけではただ和やかな雰囲気が漂っているだけの場所である目の前の建物を、人とは違う視点で

捉えたソラディアナは驚きを隠せない様子でだた見つめた。

他の土地よりも水の精霊の気配が色濃いこの首都以上に、この建物からは更に多くの気配を感じるのだ。

水の精霊がここまで多く存在するのを今まで体験した事がなかった彼女は、ただ純粋に詠嘆した。

精霊とは見るものではなく体全体で感じるものなだけに、魔術とあまり関わりがない一般の人々には気づく

事が困難であろうが、そういう事に対して敏感な者はうっすらと認識する程度にその違いを感じる筈だ。

この建物は何なのだろう。その事が無性に気になったソラディアナは、近くにいた人に聞いてみる。


「あの、すいません」


突然話しかけられた女性は驚いたように振り返ったが、話しかけてきた人物がまだ幼さを残す少女だとわ

かると優しそうな微笑を浮かべ返事をしてくる。


「あら。私に何か?」

「はい。ちょっとお聞きしたい事がありまして…」


女性の笑顔に自分もつられて微笑みながらソラディアナは、話しかけた人物が良い人そうなのに安堵しつ

つ言葉を続けた。女性もそれを嫌そうにはせずちゃんと聴いていてくれる。


「この目の前の建物は何なのでしょうか?」


女性は彼女の質問に対して一瞬驚いたようにしていたが、ソラディアナの恰好が女性の旅用の服である事

で理解したのか、その質問に対して丁寧に答えてくれた。


「この建物はこの地に住む人々なら誰でも知っているぐらい有名なものなんですよ。医療施設や孤児院等

もこの建物の敷地内にありますし、毎日多くの人が祈りを捧げに来たりします。そうですね、この場所を正

式呼ぶとすれば---【水の神殿】かしら」








それから、暫くして。

質問に答えてくれた女性にお礼を言いながら別れたソラディアナは、興味があった事もあり一度水の神殿

と呼ばれるこの建物に入ってみる事にした。

どうやら祈りを捧げに来る人々は首都の住人だけではないようで、彼女と同じ旅用の恰好をした人達も中

を歩いていれば何人も見つけることが出来る。

今現在歩いている廊下は祭壇へと続いているものであるが、その床は綺麗に磨かれていた。

きっとこの神殿に住んでいる見習い巫女や神官が毎日丹精こめて掃除をしているのだろう。

以前訪れた地下神殿のような造りではないにしろ、こちらも一流の職人が腕によりをかけて作ったのか、

廊下の両壁は美しい細工で飾られ天井は水の精霊王リーレンらしき人物が描かれており、人々を魅了し

ている。ソラディアナも例を漏れず、地下神殿の時同様感嘆の声を上げた。

このまま真っ直ぐ進めば祭殿へと到着し、祈りを捧げることが出来るだろうがもう少しこの神殿の美しさを

堪能したいと考えた彼女は、歩いている人々の列から外れ右側にあった別の場所へと続いている廊下へ

身を滑らせた。そこは中庭に続く道のりのようで先程とはまた違う細工が廊下には施されている。

それからしばらく進んだ先に見えたのは広い庭の中を憩いの場としている人々の姿。

まだ少し暑い季節であるため殆どの者が木陰で休んだりしていたが、近くにある噴水で水浴びをしている

子供の姿もあり先程神殿の出入り口の近くにあった庭での風景と何ら変わりはなかった。

時々水の精霊が悪戯で天気雨を降らせるが、本当にそれは霧のように降る為この気温ならば心地良い。

ソラディアナも他の人たち同様近くにあった木陰に腰を下ろし、安らぎの一時を楽しむ事にする。

水の精霊王を崇拝している祭壇にも行ってみたいが、此処でしばらく時間を過ごすのも悪くないだろう。

風の精霊が気を利かせてくれたのか、彼女の周りだけ優しい風が音をたてて通っていった。





うとうとし始めてかた数十分が経っただろうか。

いつの間にか眠り込んでしまっていたソラディアナは、自分の身近に異変が起こったことを敏感に察知

して閉じていた瞼をゆっくりと上げた。

目を開けた先に飛び込んできた光景は先程と何ら変わりはなかったが、どうも自分の体の右側に不自然

な重さを感じる。寝入る前にはなかったその重さに、彼女は不思議に思い視線をそちらに向けた。

そして、ぎょっとしたように目を見開く。



彼女の視界に飛び込んできたのは、自分に体重を預けて眠り込んでしまっている大きな物体。



ソラディアナの背の半分もない身長のその人物は、すやすやと幸せそうに瞼を閉じていた。

年の項は十歳にも満たないであろうと予測出来る程幼い容姿をしており、その寝顔はとても可愛らしい。

始めのうちは驚いていたソラディアナであったが、自分にもたれかかっるように寝入ってしまっている幼い

少女が微笑ましく映り、そっと小さく笑った。きっと遊び疲れてそのまま寝てしまったのだろう。

この子の親も近く居る筈である。そろそろこの場所を離れようと考えていた彼女は、幼い少女をこの木陰に

一人にする事がどうにも気が引けた為この子の親らしき人物はいないか辺りを見回した。

だがどうもそれらしき人物は見当たらず、ソラディアナは途方に暮れる。

それでもめげずにキョロキョロと身を乗り出して探した。その反動で、彼女に体重を預けていた少女の体が

横にずれ、芝生の上へと倒れてしまう。ソラディアナはその事に気づき慌てて元の体勢に戻ろうとしたが、

突然体が傾いて目が覚めない人間などそうそう居ないため、夢路へと旅立っていた幼い少女はぱちりと目

を覚ましてしまっていた。自分が少女の眠りを邪魔してしまったのだ、謝ったほうが良いだろう。

そう思い、ソラディアナが口を開きかけたその時。

突然、眠りから覚めた幼い少女がソラディアナに体当たりをするかのように抱きついてきたのだ。

あまりにも唐突の出来事に彼女は目を見開きどう対処してよいか解らずただ混乱するしかない。

そんなソラディアナの様子にお構いなしといった感じで、抱きついてきた少女ははっきりとした声で言った。

幼い少女には不釣合いなほど深い色合いを持って彼女見つめながら。






「やっとお会い出来た」、と。







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