天翔る



第一章 始まりは告げられて

第十話 【夫婦の腕輪】




「ふっ夫婦…」


ソラディアナは自分でも訳が解らぬまま無意識にポツリと呟いた。




あれから、今回のとんでもない事態を引き起こしたライベルトに、クラウスは怒りをぶつけるかのように激しく

攻め寄っていた。

対してライベルトは、そんな彼の様子に堪える様子もなく飄々としている。

その顔には何やらこの状況を楽しんでいるかのように微笑みが浮かべられていた。

本来の主従関係を垣間見た気がしたソラディアナは、クラウスのように食って掛かるような度胸もなく、現在

自分が陥ってしまった事態をあくまで冷静に対処しようとしている。

人間、現状が理解の範囲内から転げ落ちてしまった場合は逆に精神が落ち着くものだ。

最初は取り乱してしまったが、数分経った頃には何とか元の精神状態に戻る事ができた。

ソラディアナは心労が溜まりに溜まった中年男性のような重たい溜息を一つ付くと、今回の事態の象徴でも

ある左腕に嵌められた白銀の腕輪を自分の目の高さまで持ち上げてよく見てみる。

本当に、隅々まで細かく装飾された美しい代物である。

これが自身の身に降りかかった今回の事に関係がなかったのなら、思わず見惚れていただろう。

何度も試してみたが、この腕輪を左の腕から外す事はできなかった。

何せ、古代の夫婦の証となるものだ。

今現在でもまだ立証されていない魔術や何かが発動しているのだろう。


「今すぐ外せ」

「私には無理です」

「はあっ!?お前がやったんだろう!?」


物思いに耽っているソラディアナの横では、未だにライベルトとクラウスが言い合いを続けていた。

最早自分の力では解決できないだろう考えた彼女は、体を彼らの方へと向けその会話を傍聴する事にする。


「ですから、無理なものは無理なんですよ。何たって古代の魔術です。発動は出来ても、解読の方法がわか

りません。例え、城付きの魔術師であったとしてもね」

「じゃあ何でこんな事したんだよ!」


会話をしているうちに、クラウスはやっと冷静を取り戻してきたようである。

最初は誤魔化していたライベルトも、それを止めたようであった。


「そんなの決まってるでしょう、私の娯楽のためです」


ライベルトの言葉には、流石にソラディアナとクラウスも絶句するしかない。


「娯楽のためって…」


思わず、第三者として聞いていたはずのソラディアナも口に出してしまった。

硬直してしまった二人の様子を面白そうに眺めながらライベルトは言葉を続ける。


「別に、システリア様と一緒に術をかける女性がお嬢さん以外でもよかった訳じゃないですよ?」

「どういう意味ですか?」

「ほら、システリア様が女性を苦手としている事はお話したでしょう?このままでは王となった時も独り身のまま

じゃないかと私も含め、周りの者が密かに心配していたんです。しかし、今日私はお嬢さんといるシステリア様

を見て安心しました。それで、もうこれ以上心配するのも面倒くさいので、この際二人をくっ付けてしまおうと考え

た所に、今回の魔術が丁度良く見つかったんです。私が記憶している術の言霊は途中までしか書かれていませ

んでしたからね。これはもうやるしかないと思った訳ですよ。まあ、それは一割程で後九割は私がシステリア様

の反応を楽しむためですけどね」

「あのっ!!私まだクラウスと会ったのは二度目なんですけどっ」

「お嬢さん、愛が育まれるのに時間は必要ないのですよ」

「育んでません!」

「よかった、これでジェニファルド国も安泰ですね」


あからさまにライベルトはそこで話を方向転換させると、最早呆れ果てて何も言えないでいるクラウスの方に顔

を向け、にこやかにこう言った。


「おめでとう御座います、システリア様」


この言葉を最後に、何とも言えない空気が辺りを包み込んだのは言うまでもない。






しばらく、その状態が続いたあと。

ふとソラディアナの頭の中に閃きが生じた。


「ラーファン様に解いてもらう事はできないの…?」


そっと、二人に聞こえるように呟いてみる。

ラーファンは、始竜と崇められている神であり、この世界を創造した者の一人だ。

普通の一般市民であったのならお目にかかるなどという大層な事はできないだろうが、一緒に術をかけられた

のはこの国の第一王子であり、リールである。

会うことが可能かもしれない。

しかしこの閃きはとうの昔にクラウスも考え付いていたようで、少し落胆を含んだ声が彼の口から発せられた。


「今、ラーファンに会うに事はできない」

「なんで?」

「一昨日ぐらいから、眠りについてるんだ」

「眠り?」

「そうだ。神気を高めるために、一ヶ月の間だけ」


そのような期間があるなどと、ソラディアナはまるで知らなかった。

しかし、そうなってしまうと最低一ヶ月はこの腕輪を嵌め続けなければならない事になる。

彼女は頭を抱えたくなってしまうのを必死でかこらえながら、何か解決策はないのかという切実な思いを込めた

目でクラウスとライベルトを見つめた。


「何とかならないの?」

「…無理だな」

「無理ですね」


クラウスは苦虫を噛み潰したような、そしてライベルトは何やら愉快そうな顔で同じような事を同時に言う。

更に、ライベルトは二人にとって全くありがたくない事をさらっと口にした。


「ちなみに、王には先程システリア様に決まった相手が出来たと魔術の伝言によってお伝えしておきました」

「ええっ!うっ嘘…」

「本当ですよ?本当だったら身分の問題が浮上してしまうのですが、お嬢さんは精祝者ですからね。どの王

家も躍起になって欲しがる血ですから、大した反対は起こらないでしょう」


ライベルトの口調からは、最早ソラディアナとクラウスの結婚が即に決定してしまっている気がする。

クラウスがこの事に対して黙っているはずがなく、怒りを含んだ声で反論をした。


「お前勝手に何をやってるんだよ?」

「ですから、王にきちんとした報告を」

「全然きちんとしてないだろうがっ!いいか、俺はまだ結婚する気はない!」


またもや、二人の不毛な長い言い合いが始まってしまう。

ソラディアナはこれから起こるであろう様々な問題に今度こそ頭を抱えて座り込んだ。





結局、あれからこれ以上この神殿にいても何の解決にもならないという結論に達したソラディアナとクラウス

は、いったんこことは別の、ゆっくりと考えれる環境があるところに移動することにした。

まだ詳しくはこの地下神殿は調査できていないが、このような状態になってしまってはそれどころではない。

帰ろうと元来た道を歩き始めようとした二人に、ライベルトは立ち止まったまま声をかける。


「私はもう少しこちらで調べさせてもらおうと思います。先にお二人でお帰り下さい」


その彼の言葉に眉を顰めたのはクラウスだ。


「お前、また何か企んでるのか?」

「もうそんな事しませんよ。私はただ純粋に魔術師としてここを詳しく調査してみたいだけです」


そう言うライベルトの顔には見る限り嘘を付いている感じはなく、至って何時もの表情である。

しかしこの青年が、腹の中では何を考えているか全くわからぬ性格をしているという事を小さい時から共

に育ったクラウスは嫌と言うほど知ってしまっているためにどうしても信用することができなかった。

そんな彼の様子に、ライベルトはやれやれといった感じで口を開く。


「信じてもらえませんか…仕方がありません、このライベルト己の真名にかけて誓いましょう」


二人のやり取りを黙ったまま見ていたソラディアナは、ライベルトの口から簡単に出てきた『真名』という

言葉に思わず目を見開いてしまった。




真名、というのはその字の通り真なる名前の事を指す。

人の名前はこの世界に五万と存在しているが、同じ文字や発音の名前であったとしても正確には全く違う。

親から名づけられた時点で、精霊たちがその名にさまざまな自然の摂理を組み込むのだ。

そして、その真名を知っているのは本能的に理解する事ができる本人のみ。

もし何らかの形で自分の真名が他人に知られてしまった場合は、最早自殺行為である。

しかし、その事をよく理解した上で己の真名を相手に捧げると言う儀式がこの世界には存在した。

それが、王族などに剣を捧げた騎士や魔術師である。

ライベルトが言っていた己の真名にかけて誓うという言葉は、生涯一人の主と定めた騎士や魔術師などが

神に己の命を捧げてもいいと意味合いを持った誓いの言葉であり、とても神聖なものだった。

どうやらライベルトはクラウスを己の主として誓約を立てているらしい。

だからといって今その誓いを使うのは場違いなような気がするのだが、クラウスはあまり気にしていないらしく

若干眉の皺を緩めた表情でライベルトに向かってこう告げる。


「わかったよ、信じてやる。この神殿に腕輪を外す手がかりがあるかもしれないからな、それを探せ」

「はいはい、気が向きましたら」

「気が向きましたらじゃねえ!いいか、これはお前がやったんだ。責任を取れ!!」


このままではまたくだらない言い合いが始まる、そう予想したソラディアナは慌ててクラウスの前まで体を割り

込むと、彼の左腕を引っ張りながらライベルトに向かって言った。


「それじゃあ、先に行かせていただきますね」


そう言って、クラウスを引っ張るような形で歩き始めた。

彼もそんなソラディアナの行動に言い合う気力も萎えたのか、黙って大人しくその後に付いていく。

そんな二人の背中をライベルトは静かに見送った。

そして、二人の姿が魔術印の中から消えたのを確認すると、徐に一人言を口にする。

「どうか、ご加護を」、と。










ここは、始まりの神殿。

遥か昔に忘れ去られてしまった筈のこの場所が、彼女たちによって再び息吹を返す。

ゆっくりと、ゆっくりと。

彼方の伝説と共に-----------------








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