セレブとわたしと城の幽霊・中編




どのくらい眠っていたのだろうか。未だ意識ははっきりとしないが、自分がどうやらベット

に寝かされていることは感覚でわかる。柔らかいふわふわとしたベットは大変寝心地が

よく、日頃その心地良さのあまりに寝過ごしてしまう程だ。

うっすらと目を開ければぼやけながらも辺りが薄暗い事が確認出来て、倒れてから大

分時間が経っているようだった。本音を言えばもう少し寝ていたかったが、倒れた原因

が原因なだけに自分が気を失ってからどうなったのかが気になり、重い体に鞭打って

ゆっくりと上半身だけを起こす。ううっ腹筋が筋肉痛みたいに痛い!それに左手なんて

錘がつけられたみたいにびくとも動かない。もう、なんなのよ!っと内心怒りつつも、左

手の状態を見るためにそちらへ視線を向けてみる。


「……………っっ!!!」


硬直した。見事に、見た瞬間にまるでメデューサに睨まれて石化したように硬直した。

だって、だって、左手を辿った先には。


「ん…柚葉…?」


私が起き上がった気配で目覚めたのだろう、少々擦れた声で名前を呼ぶ存在は、私

の左手を両手でしっかりと握り締めている。


「ゆっ悠斗…」


あんたどうしてこんな所にいるの。真っ先にそんな声が私の脳裏を木霊したが、驚き

すぎて相手の名前を呟く事しか出来ない。今目の前に鏡があるならば、私はきっと水

から引き上げられた魚のように口をパクパクして唖然とした表情をしているだろう。

そんな私を傍目に、悠斗は眠そうな目をパチパチとしながらベットにもたれ掛かって

いた体を起こす。その間も私の手を握ったままだったが、そんな事気にしている余裕

なんてなかあった。今はただ、固唾を呑んで彼の行動を見守るのみ。

やがて悠斗は眠気など含んでいないまっすぐな瞳で私を見つめたきた。ううっ何でそ

んなに見るのよ。私何かしたっけ?そんな言葉が頭を渦巻く中で、ぽつりと微かに聞

こえる音量で悠斗は喋り始めた。


「柚葉、もう体調は大丈夫なの?」

「えっ?体調?倒れた事を言ってるならもう大丈夫…」


そう私は言い終わると、悠斗はそう、と言いながら瞳の中に安堵を含ませながら微か

に微笑む。いつもなら中々見ることの出来ない、素の笑顔だ。彼はよく嫌いな相手を

打ち負かした時や私を言葉で追い詰めたりしたときに勝利の笑みを浮かべるが、今

の表情はそれとはまったく違う、優しい笑み。普段なら見慣れている顔なのに、その

時ばかりは流石の私もあまりの綺麗さに言葉を失ってしまった。伊達に顔立ちが揃っ

ているだけに、その効果も抜群であるから始末に悪い。


「急に倒れるから心配したよ。様子も変だったし、また体を壊したんじゃないかって」


何事もなくてよかったと、悠斗は続ける。本当にいつもの彼らしくない。少なくとも、私

の中の悠斗のイメージとかけ離れてはいた。それとも、これも悠斗の一面なのだろう

か。そう思ってしまうほど彼の周りの雰囲気があまりにも真剣で、本気で私の事を心

配してくれているのだと直感でわかる。


「あの時って…九歳の時発作で倒れたやつ?そんな昔の話なんだから―――」


今はもう大丈夫よ、と答えようとした私は、悠斗の力強い言葉によって呑み込まれて

しまった。


「そうとは限らないだろう。現に、今日だって急に倒れたじゃないか!」


悠斗は普段、嫌味なほどに穏やかに喋り、人に自分は至って無害なのだと主張する

よな人格を装っている。私の猫被りも彼に似た気がしないでもないが、それはどこか

嫌悪感を覚えるので考えないようにしている。

そんな、落ち着いた雰囲気を醸し出そうとしている悠斗が声を荒げる事は、ほどんど

無に等しい。そんな彼が、部屋に響き渡るほどの大声を出した事実に、私は驚きの

あまり両方の目を大きく広げたまま彼を凝視してしまった。

だが、その状況も長くは続かない。言われた言葉をよく理解していない私が苛立たし

かったのか、悠斗は急に膝をついて座っていた絨毯の上から荒々しく立ち上がる。

そしてあっという間に対等な目線から、今の私が彼を見上げ、そして彼が私を見下

ろす体制に変化してしまった。


「君は、フランスへ来る前も一度倒れてる。それが、大丈夫だって?もう少し自分の

体の事に敏感になってくれ。もう僕は―――あんな思いをするのは御免だ」


そう言うと、悠斗は突如持っていた私の手を引張った。突然の事にまるで対応でなか

ったは私はその力に導かれるように体が宙に浮く。

そして―――――最初の場面に戻るのだ。




* * *




私は九歳の時、一度だけ生死を彷徨った事がある。当時患っていた病気による発作

が原因だったのだが、その頃意識がおぼろげだっただけに実際あまり覚えていない。

ただ、一つだけ明確に記憶に刻まれているものがあった。私が発作を起こしたのは、

丁度悠斗の家の庭で遊んでいた時。明美と隼人はそれぞれ別の予定があったので、

一緒に遊んでいたのは私と彼の二人だけだった。

どんな事をしていたかは覚えていないが、徐々に体調が良くなっていた事に安心して

いた私はつい羽目を外して走りまわっていたらしい。それが、いけなかったようだった。

急に胸が苦しくなり、そのまま地面へと倒れ伏してしまったのだ。

消えていく意識の中で最後に見たのは、驚愕に目を見開いたまま必死で私の名前を

呼ぶ悠斗の姿。もう何年も前の話の筈なのに、彼は未だその時の事を忘れていなか

ったらしい。先の程の言は、私にそれを再確認させた。

別に気にする事などないのに。悠斗はあの時の発作を自分のせいだと責任を感じて

しまったようで、以後私の体調に関してはとても敏感になってしまっている。

今思えば、フランスへ来る前に倒れたのは体調を崩したのでなく、あまりの事態に頭

がついていかず気を失っただけだし、今回にしたって全面的にあの幽霊が悪いんだ

けど…彼はそうとは知らないので、あのように考えてしまったらしかった。




* * *




最初は抱きしめられてびっくりし、赤面になりもした。次第に思考が落ち着いてくると

私の事を気遣ってくれての行動なんだなと思い、(何故抱きしめられられるのかわか

らないが)じんわりと心に染みたのでしばらくは好きなようにさせていたが、こうも長く

抱きしめられては違和感を感じる。離れようと抵抗もしてみたけど、所詮は女の力、

男に敵うはずもない。まだ幽霊の問題だって解決してないのに、無闇にこのまま時間

が過ぎていけば夕食に現れない私を不審に思った明美が部屋にきて、いらぬ誤解を

招いてしまう可能性が高い。ああ、それだけは絶対に避けないと。

第一に、幽霊は私の部屋の中に出現したのだから、どうにかしないと怖くてここでは

寝れなくなってしまう。出来る事ならそれだけは避けたい。この部屋は広すぎるけど、

あのベットは結構気に入っているのだ。今更別の部屋に移ってもそこに幽霊が出現

しないとは限らないし。うーん、しかし幽霊をどうにかしようと思っても、何をすればい

いのだろう。今までの私はそういったものと無縁な生活をしてきたから、実際に本物

を見たのは今回が初めてなのだ。やっぱりここは霊媒師を呼ぶべきなのだろうか。

まあどんな行動を起こすにせよ、まずこの状況を打破しなければいけいないだろう。





* * *





――私はこの時全く気づいていなかった。私たちの横で、白くぼんやりしたものが徐

々に形を成していく事を。





* * *





「ちょっと悠斗!いい加減、離してよ!」

「……いやだ」

「いやだって子供みたいに!今はこんな事してる場合じゃないんだってば!」

「こんな事ってなに?僕にとっては大切な事だ。―――柚葉がちゃんと自分の体の

事をもっと真剣に受け止めるまで離してあげないよ」

【あのぉ…】

「受け止めるって…さっきも言ったじゃない。私はもう大丈夫よ」

【あのぉ、もしもし?】

「それはわかってるよ。だけど、それとこれとは話が別」

【ちょっとー、聞いてます?】

「はぁ?意味わかんないわよ!それに私が倒れたのだって別に原因があるわけで」

【もしもしー…】

「うるさいな、黙っててよ。取り敢えず、私は元気で体の事だって気にする必要ない

の。だから離して!」

「だめ。今はよくても今後悪くなるかもしれないでしょ」

【………をい】

「大丈夫だってば!本人が言ってるんだから信じなさいよ!」

【おいってば!!】

「信じられないね。柚葉は自分の事には全く無頓着だから」

【…………】

「無頓着なんかじゃないわよ。心配御無用。自分の事は私が一番わかってます!」




私がそう言い終わった傍で。プッチと何かが切れる音がした。






【いい加減しろよてめぇら!人が下手に出てりゃいい気になりやがって!!人の話

を聞けやおらぁっっっ!!!】






「「……………」」








言い争いを止めて悠斗と二人、視線を同時に向けた先には―――プカプカと浮かぶ

真っ白いワンピースのような服を着た一人の少女がいた。













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