セレブとわたし 自慢ではないが、私は昔から人を騙すという行為が非常にうまかった。最早人間だとは 思えない両親やその他諸々の人物については少々無理があったが、赤の他人や上辺 だけの友人を騙すことなど赤子の手を捻るより簡単だ。この得意技を使って、何度も 羅場を潜り抜けてきたものである。多分、周りにあんな奴らしかいなかったせいでこん なものが身に付いてしまったのであろう。 人間、その環境に適したように進化していくものだから。そして私はこの能力を最大限に 発揮して-----泣く子も笑う一世一代の猿芝居を演じていた。 その期間は非常に、本当に泣けてくる程長かった。その中には、無論血と涙と汗も多く 含まれている。犠牲になった人々は数知れず、だ。私は心の中で何度も冥福をお祈りし たが、所詮は自分が一番可愛い。特別に何か処置を施すという事はしなかった。 全てが水の泡なってしまうし。しかも、今回は、味方が誰一人として存在しない。身一つ で、どうにかしないといけないのだ。そんな努力があってか-----今この瞬間、勝利の女 神は確かに私に微笑んでくれたらしい。己の手に握られている一枚の合格通知を、まる で楽園への切符のように思えて、自然と嬉し涙が私の目元を潤す。 これで、あんな奴らとはお別れだと考えると、そうなるのも仕方がない。 私は人知れず台所へ行き、コップにカクテルを注ぐと、一人で勝利の祝杯を挙げた。 * * * これが、つい昨日の出来事である。 * * * 私の目の前に、整った顔の眉間を思いっきり寄せ、腕を組みながらこちらを見下ろす青 年の姿があった。気のせいか、その周りにはどす黒いオーラなるものが見える。 怖い。非常に、怖い。今まで幾度となく同じような目にあった事はあるが、今回のこれは その比ではなく、本当に私の体が竦んでしまう程のオーラを醸し出している。 が、こちらとて今は敗者ではなく勝者の方に身を置く者だ、強気を持たねば。こうなる事 は前々から予測出来ていた事である。今更ビクつく必要なのない筈だ。しかし、こんな に早く気づかれるとは予想外である。もう少し遅くなると思っていた。 「何か用?悠斗」 なるべく自然に聞こえるように、平坦な声で尋ねる。そんな私の問に、悠斗と呼ばれた 彼は寄せていた眉を更に深く歪ませると皮肉げに口を開いた。 「ああ。ちょっと、飼いならしていた猫に噛み付かれたみたいでね。原因を解明する為に わざわざここまで足を運んだのさ」 飼いならしていた猫。その言葉に、流石の私も思わず眉間に皺が寄る。こいつは、私を 常々からそう思っていたのだろうか。それならば、とても不服だ。 「はぁ?それはご愁傷さまね。でも、何で噛み付かれた原因を解明するのに私の所に 来る必要があるのかしら?」 さも、本当に疑問といった感じで言ってやる。だいたい私は猫になった覚えなどないの だから、当然の権利だ。が、彼にはそれがどうやらお気に召さなかったらしい。 壮絶に恐ろしい笑みをその顔に浮かべると、一つの紙切れを私に向かって指し示した。 私は余裕を持っているように見せかけながら、そっとそちらに視線を移す。 思った通り、そこには私の名前が書かれた合格者名簿があった。本来ならそんなもの プライバシーの侵害だとかいって入手など出来ない筈なのだが、彼にそんなものは障 害にさえならない。どうやら、こうも機嫌が悪い原因はこの紙切れにあるようだ。 「それが、どうかしたの?」 「君は、確か東京都内の女子大に通うって言ってたよね?そこはもう合格していた筈 だ。なのに、なんでこの大学の合格欄に君の名前があるのかな?」 「そんなの、受けたからに決まってるじゃない」 余談だが、その名簿に書かれている文字は全てフランス語。私の名前の前後にある 名前は、全て外人のものである。彼は掛けていた眼鏡を外すと、一歩一歩私のいる場 所へ近づいてきた。その様子に、思わず体が後ろへ移動してしまう。 「この事を、明美や隼人は?」 「知らないと思うわよ。誰にも言ってないし」 「へぇ〜…」 何かを考える素振り。彼がこんな事をする時は、何か私にとって悪いことを考えている 場合が多い。だが、いくら考えても無理な筈だ。私は、必死で奴らののコネが存在しな い海外の大学を探し出し、最終入試を受けたのだ。最早私と一緒の大学に行く事は不 可能である。私が昨日奴らとお別れだと断言したのは、ここに理由があった。 「悠斗は東京大学行くんだったよね?私、最後に受けた方の大学に行くから離れ離 れになっちゃうね。幼稚園から高校までずっと一緒だったのに。お互い、頑張ろうね」 白々しく言ってやる。本当はそんな事一ミクロンも思っていないのだが、一応、嫌味の 為に。その時点で、私は自分の勝利に浸っていた。彼の、私への執着が並大抵では ない事を忘れて。気づけば、彼は携帯電話を片手に何やら話しているようだった。 「ああ、氷室か。例の契約、そのまま締結させろ。----交渉金?そんなもの幾らでも 払ってやれ。詳しい事はまた連絡する。--ああ、そうだ、条件を付けるの忘れるなよ」 そう言い、すぐに通話を切ってしまう。 「仕事?だったらこんな所に居ないで自分の家に戻れば-----」 そこで、私の言葉は彼に突然名前を呼ばれた事によって途切れる。 「柚葉」 その声色は、何故か余裕の声色が含まれていて。何故か私は嫌な予感がした。 「なっなに?」 「僕も、同じ大学に行ける事になったよ」 「え?そんなのどう考えたって無理な筈----」 「今契約した企業が経営してる大学なんだ、そこ。最初はもう手にしてる事業だから 受けるつもり無かったけどこんな事態になってしまってはね」 「そっそんな理由で結んで良いのっ!?職権乱用じゃないっ!!」 言われた内容に、思わず声を荒げてしまう。彼が同じ大学に行く?冗談ではない! 「だいたい、同じ大学に行くって会社の方はどうするの?これからおじ様の補佐も していくって言ってたじゃない!それに、大学はフランスにあるのよっ!!」 そんな無理な事が、許される筈がない。 「その事については心配いらないよ。フランスにも支社はあるしね。仕事の場をそち らに移せば良いだけ話しさ。親父だってまだ若い。共に並んで仕事するのはまだ先 でも大丈夫だよ」 だから、と彼は言葉を続ける。 「これからもよろしくね?僕の可愛い猫さん」 * * * 私には三人の幼馴染がいる。彼--悠斗もその中の一人なのだが、皆私が生まれた 頃に引っ越してきた。もともと、私達家族が住んでいる家は二代前から使っているお んぼろ家で、その家が建っている土地は十数年前まではただ田んぼが広がる東京 郊外の田舎であった。そこが、何がどう狂ったのか今は立派な一等地である。 周りには大金持ちの豪邸ばかりで、昔からこの土地で暮らしているとは言えぼろい 我が家では肩身が狭かったものだ。簡単に言えば、場違いだったのである。 共に育った幼馴染も当然大手企業グループの子息、子女。今風の言葉でいうなら セレブな奴らで、今まで散々苦労してきた。下手に気に入られてしまったばかりに。 そしてこれからも、その苦労は続いていきそうである。 ああ、この様子だと明美と隼人もフランスの大学に変更するんだろうな…と、私は 内心で大きな溜息をついた。 TOP/NOVEL |