恋 別に私は、お父様が嫌いな訳じゃない。そりゃあ沢山いる子供の中から特別に可愛がって もらっただとか、毎日顔を合わすだという事はなかったけど。不満は、なかったのだ。 飢える事もなければ、寝るところも不自由なく、更に言えば身の回りの生活用品だって他の 同世代の子に比べれば数倍良いものを使っていた。 毎日着る煌びやかな質の良い絹のドレスは、一着が庶民の一生分の稼ぎでさえ足りない 程の高価なものであったし、周りを取り囲む世話係りたちも礼儀の行き届いた者ばかり。 正直、至れり尽くせりだったと思う。もう、二年も前の話になってしまうけれども。 今現在の私は、人が溢れかえる雑踏の中を薄汚れたフードを纏ながら歩いていた。 左手には先程買い足したばかりの携帯食が入った紙袋。右手には、地図らしきものが握ら れている。方向音痴な私の為に仲間が書いてくれた宿までの道のりだ。 「はぁ…やっと買い物が終わった」 誰ともなく、疲れたような声色が口から零れてしまう。実際に、一ヶ月程持つ為の食料とも なると結構な量だ。それが、三人分である。左の腕と手は最早その重さに麻痺していた。 だいたい、どうして私がこんな事をしなければいけないのかと思う。実際にこの食料を消費 するのは自分ではなく、他の仲間たちなのだ。魔族である彼女に、そんなものは必要ない。 が、この街に着いた途端、いつの間にかこの役目が自分に押し付けられていた。 不本意も甚だしい。帰ったら文句の一つでも奴らに言ってやらなければ。 そう心の中で決意しながら、宿への帰途を急ぐ。もちろん、地図を確かめながらであったが。 * * * 宿に入った途端、私は己の目に映った光景に、寸分も迷わず腰にぶら提げていた短剣を鞘 から抜くと、標的をなっている場所へ容赦なく投げつけた。これでも、武道には長けている。 外す事など、絶対にありえない。標的となった場所に居た奴は瞬間に入り口からの殺気を 察したのか、向かってきた短剣を咄嗟に避けると投げた張本人である私に視線を向けた。 その表情は、少々引きつっているように見えなくもない。が、今はそれはどうでも言い事。 私は持って生まれた極上の美貌で笑顔を浮かべ、優しく奴の名前を読んでやった。 「アルバート」 奴の隣に居た貧相な女は、突然の事態に悲鳴を上げながら逃げていったが、別に気にし ない。アルバートと呼んでやった男は、臨戦態勢をとりながら私との間に距離を作り、逃げ る隙を狙っているようだった。まあもちろん、そんな事させてあげないけれど。 「ロッローザ…」 奴は切羽詰ったような声で私の名前を呼びながら、狼狽している。私はその様子により一 層艶やかな微笑みを作り、軽やか鈴のような声で問いただしてやった。 「私がこんな暑い中押し付けたれた買い物をしていたのに、あなたは一体何をしているの かしら?情報収集?武器の手入れ?それとも鍛錬?そんな事しているようには見えない のだけれど。そのカウンターのテーブルに置いている酒と、さっきの女は何なのかしら?」 声音に他人には分からない程のドスを入れ、一気に問いただしてやる。奴の顔はますます 引きつり、整ったその精悍な顔の頬には若干冷や汗が浮かんでいるようだ。 「落ち着け、ローザっ!!話し合えば分かる!だから、その掲げてる手を下ろしてくれ!」 諦めが悪いのか、奴は私に向かって尚もなんな事を言ってきた。あまりの馬鹿馬鹿しさに、 思わず笑い声が出てしまう。女の腰に手まで回していたのに、今更何を言い訳するのか。 奴は愚かな事に、更に言葉を続けてくる。 「ちょっと誘われて、酒を一緒に飲んでいただけだ!怠けてた訳じゃないっ!!」 この行動を怠けていた以外にどう表現すればいいのか分からないのに、奴は違うと言う。 ならば、一回そういう認識を慈悲深い私が改めてあげなければ。 「いいのよ、アルバート。そんな言い訳しなくても。ちゃんと、分かっているわ。断れなかった だけなのよね?何時もの事だもの-----いい加減、教育が必要のようだけれど」 そう私は高らかに宣言すると、脳裏に刻まれている魔術を掲げていた手に送り込み、瞬間 的に奴の魂へと解き放つ。彼は何とか逃げようとしたようだけど、そんなの不可能だ。 何せ、相手が私なのだから。 * * * 私の目の前には、気絶したままベットに寝かされている奴がいる。その表情は苦痛で歪ん でおり、私は内心ざまあ見ろと思っていた。 私が奴に掛けた魔術はその対象となる人物が一番苦手とするものの夢を、目覚めるまで 延々と見させるというものだ。奴はゴキブリが死ぬほど嫌いだから、まあそれ関係の夢でも 見ているのだろう。自業自得である。 旅を共にするようになってから幾度となくこんな事を繰り返してきたような気がする。 何故だか呆れて溜息が出てきた。自分に対しても、うなされている奴に対しても。 もうすぐ、他の仲間達が用事を済ませて帰ってくる頃合だ。どうせ、また何か言われるに決 まっている。私が悪いわけではないのに、だ。 それが理由で、今度は違った意味合いの溜息が漏れる。だいたい、本当に奴があの有名 な聖剣の主で良いのだろうか。俗に【勇者】と呼ばれている目の前の奴は、一緒に居る限 り到底そうといは思えない。詐欺と言われた方がしっくりくるだろう。 しかし、奴は勇者と呼ばれるだけであり、尋常ではない力量と剣の腕を持っている。 それは、旅をする内に幾度となく目の当たりにしてきた。 そんな奴に。私はどうやら【恋】をしているらしい。愚かな自分を時々笑いたくなるが、好き になってしまったものは仕方がない。なるようになるまで、共に居るつもりだ。 * * * これは後々面倒くさい事になる為まだ奴にも仲間達にも言っていない事だが、私は十九人 いる魔王の子供の中の一人である。俗に言う、魔族のお姫様であろうか。 そんな私が何を間違ったのか魔王であるお父様の敵、勇者に恋をしてしまった。しかも変な 事に、今は魔王を倒す事が目的の旅に加わってしまっている。 これからどうなるかなど、予想もつかない。けれど、私はそれで良いと思う。最終的に決めた のは、自分であるのだから。とりあえず、今は奴---アルバートが目を醒ますのを待つ。 外は、ほの暗く夕日が沈もうとしていた。 TOP/NOVEL |