A legend of the silver









背中に生えた白銀の翼が、今はとても忌まわしいものに感じた。

毟り取りたくて、引き剥がしたくて、何度となく手を伸ばしても結局羽が抜ける痛みを感じるだけ。

何故、なのだろう。自分は、大好きで愛おしくて、だから傍に居たいと思ったのに。

今、私の心に残っているのは深い絶望と悲しみと、それから…。

全てを壊すことだって、この世にある生きとしいけるもの無に還すことだって今の私には簡単だ。

でも、それでも憎しみに身を任せてそれをやってしまうだけの気持ちは私にはない。

だって、まだ心の中にあの温かかった思い出が残っているから。

あの、温かくて、何よりも掛け替えの光り輝く情景。裏切られたのだとわかった今でも、忘れること

が出来ない。思い出せば思い出すほど、涙が溢れ出てきて頬を伝った。

最後に見た、彼の顔が忘れられない。私を差し出したのは彼なのに、何故あのように悲痛な顔を

していたのだろう。そして、何を叫ぼうとしていたのだろう。

その時にはもう意思が霞んでいて聞き取る事が出来なかったのだけど、それでも。

私が愛した唯一のひとだったから。憎しみや悲しみ、全ての負の感情を捨ててでも、その大好きな

声を聞いてから逝きたかった。

そっと、目を閉じる。両手を祈るように組めば、腕の中に小さく、けれど柔らかな光が生まれるのが

わかった。ゆっくりと、生えたばかりの大きな翼を広げる。目を閉じていた私にはわからなかったが、

そこから抜け落ちた白銀の羽が何枚も宙を舞い、やがて地上へと降り立っていった。

腕の中の光は段々と大きくなっていく。

それに比例するように、背後の翼の白銀の輝きも増していった。


今の私には、世界を好きに出来る力がある。生と与えるも、死を与えるも、全ては自分の意思次第。

私を裏切った人々。愛していたのに、最後には周りの人を同じ態度になった彼。

それでも、それでもね。嬉しかったんだよ。一番最期に瞳に移ったのがあなただったことが。

だからこそ、思う。全ての悲しみや憎悪を受け入れて、彼の幸せを願おうと。

あなたには死んで欲しくない。あなたが愛したこの世界を、崩壊させてしまいたくない。

様々な感情の波に曝される中、決して消えることのなかった強い思い。はじめから、わかっていた。



光はやがて世界を覆うまで大きくなり、空や海、母なる大地をも優しく包み込んで癒していく。

まるで、大いなる神の腕の中に抱きしめられるように。



生きる全ての生き物たちが、その光景を黙って見つめていた。皆一斉に天高く空を見上げ、何かに

魅入られたかのように身じろぎひとつすることはない。

その様子を私は黙って見つめる。そして、自分のしたことが間違っていなかったのだと実感した。

だって、みんな生きてる。木漏れ日のような優しい光の中で、ひとつひとつの輝く魂がその存在を

主張している。これが、彼の愛した、本当の世界の姿。

最期の最期に、見られてよかったと思う。もう瞼も重くて、開くことが困難だけど、わざわざ見ずと

も生命の息吹は体全体で感じることができた。

ああ、これで、これで愛した人を幸せにできた。私のことは忘れてしまってもいいから、ただ笑って

いて欲しい。あの人は、太陽の如く人々に勇気と希望を与える人だから。

なんだか、疲れてしまった。大役を無事に成し遂げることが出来たからかな。

とても、眠い。体が自分のものでないような感覚。擦れる意識の中で、私は幻影を見た気がした。

上から私を覗き込むように見つける、彼の瞳。疲れきった体を優しく抱きしめてくれてるその逞しい

体。全ての人を魅了する、美しいひと。

彼が、笑った。何よりも、私が愛してやまなかったあの優しい表情で。


「カイレナート…」


擦れる声で、名前を呼ぶ。それが音となって空気を振動させることはなかったけれど、ちゃんと彼に

は伝わったようだった。それが、とてもとても嬉しい。

これはきっと、私のことを哀れんでくれた神様の最期の情けだ。今感じている彼が本物でなくとも、

わたしは構わない。伝えたかった言葉があった。言いたくて、でも恥ずかしくて言えなかった言葉。

言おう。これで、私の望みは満たされる。


「愛して、いたわ。この世界で唯一の人だった…」




「幸せに、なって」









それきり、意識が途絶え、体の全ての力が抜ける。やがて彼女は優しい光に包まれ、ゆっくりと消

えていった。その場に残されたのは、幻影と思われていた一人の青年と美しい白銀の羽が数枚。

青年は、地面に落ちていた一枚の仄かに輝く羽を一枚拾った。そして、そっと口元に持っていき、

まるで口付けるかのように唇に宛がう。そして、誰にも聞き取れないほどの小さな声で呟いた。


「私も、愛していたよ。フィー」


そっと、一筋の涙が頬を流れる。それきり、その場には静寂のみが残された。








伝承は歌う。

昔、親がおらぬ一人の娘と大国の王子が恋に落ちた。

身分差があまりにある二人だったが、それでもそのあまりの熱愛ぶりに周りはとうとう二人の仲

を認め、一時期は幸せに絶頂にあったという。

そんな二人を引き裂いたのは、貴族の重圧でも、戦争でもなく、世界の崩壊という最悪の事態。

人々はその事態に慌てふためき、様々な解決策を探った結果、ひとつの希望の見出した。

それが、翼を持つ娘の力による世界の救済。各国で年頃の娘たちが調査の対象とされ、絞り絞

られえ全ての条件を兼ね揃えた最後に残った娘。

それが、王子の愛した少女であった。

彼は知っていた。救済とは名ばかりで、結局的には世界に捧げられる生贄に過ぎないのだと。

王子は娘を逃がす事に必死になり、周りを欺くために少女にもう気がない振りをしたりもした。

それが、娘の目にどのように映っていたかも知らずに。

隙を見て連れ出そうとしていたことは周りの人間たちに見破られ、最後の最後には目の前で愛

おしい娘を失ってしまう。

翼を持つ娘の力を解放するには、まず肉体に捕らわれた魂を引きはがさなければならない。

故に、一番簡単で確実な方法を取ったのだ。殺害、という、一番惨い方法を。

少女の魂は体から離れた後ゆっくりと浮上し、やがて天の彼方へと上昇していく。その光景は

幻想的で、その場に居るものは全て美しさに魅了されたという。だが、その中で青年はただ必死

にその魂の向かう先を見据えていた。

そして、自分を捕らえていた周りの人間達の拘束が緩んだ隙を見てその手を振り切り、大切な

少女が進んでいった方向へと走り出す。

必死に、追いつこうと無我夢中で走った。我を忘れてしまうほど、体の疲れなども忘れて。

だが、辿り着いた時には既に遅く。力を使い果たし、今まさに消え去ろうとしている彼女の姿が

あった。その姿は彼の見知ったものとは程遠く、見たこともない翼が背にある。

最後の最後にカイレナートと名を呼ばれ、愛していると囁かれた彼はただ愛する少女が安らか

に逝けるように彼女が大好きといって憚らなかった笑みを浮かべることしかできない。



やがて、世界に溶け込むようにして少女は光に包まれながら腕の中で姿を消した。










少女の亡骸を抱えて何処かへ消え去った王子である青年の行方はそれ以降不明となった。

風の噂では、青年は幾年か経った後、幼い少年少女を一人ずつ養子に取り静かに暮らしたと

いう。今現在、その息子達の子孫たちが寄り添うように建てたれた恋人同士の墓を守っている

のだという。翼を持った少女が守った、生命溢れる深い深い森の中で。

少女の墓標には、こう記されていた。



『私の唯一愛した娘、フィーレリアよ。安らかに眠れ』






今日も、息吹を吹き込む風が、世界中を吹き渡っていく。










END






背景の素材は Sky Ruins さまよりお借りしています。