それは、彼女達が共に十三歳の年を数えた頃に起こった。




B l e s s e d





「ちょっとソラディアナ、一体何処まで行くつもりなのっ!?」


目の前で鼻歌を歌いながらウキウキと歩いている自分の親友に向かって、ラリアは多少苛立ちを含んだ

声音でそう叫んだ。

周りはしんと静寂で包まれていた為に、その声の木霊(こだま)が跳ね返って彼女の耳へと届く。


「えっなに?」


今まで只管前だけを向いて進んでいたソラディアナはその声を聞いて、ピタリと足を止めた。

そして何ともにこやかな顔でラリアの方へと振り返り返事を返す。

ラリアはその動作だけでも額に怒りマークがついてしまいそうになるが、ここは自分がしっかりしなけれ

ばならないと言う自制心が働いたのか、何とかそれを抑えつける事に成功した。


「ソラディアナ、今の状況ちゃんとわかってるの?」


ソラディアナはその問いに不思議そうに首を傾げたが、暫くしたのちに「うん」、神妙した面持ちでと頷く。

だが先程までラリアは浮かれていた彼女の様子を見ていた為に、その反応が胡散臭く見えてならない。

彼女は今の状況確認をするために、再度ソラディアナへゆっくりと、語りかけるようにと問いかけた。


「私たちは今、どんな事態に陥っているの?」

「えーっと、散歩?」


ラリアの不機嫌さが表情から見て取れたのか、ソラディアナは少々その場から身を引きつつも今の状況

を和ませる為に敢えて別の答えを口に出す。が、その事が逆にラリアの怒りを煽った。

彼女の怒声が、森中を駆け巡る。


「違うでしょ!私たちは今、このだだっ広い森の中を迷子になってるのよっ!!」


このだだっ広い森とは、彼女達の住んでいる村の近くにある森の事である。別名【迷走の魔域】とも呼ば

れ、定まった道筋を外れた者は二度と出る事が出来ないと言われている程恐ろしい場所だ。

村の大人達も極力近づかず、自分の子供たちには決して入ってはいけないと言い聞かせていた。

そんな森の中に、二人は今現在、西も東も解らぬ状態のまま彷徨い続けているのである。

----------はっきり言って、絶体絶命の状態だ。







事の起こりは、今から数時間前。

数日前から村の村長宅に王都の役人が着ていた為に、村全体が厳戒態勢で臨んで粗相が起きぬよ

うに気を張っていた。下手な事があれば、この村に汚名という名の傷が出来てしまうかもしれない。

役人の噂と言うものは怖いのだ。口から口へと広がり、あっと言う間に広がってしまう。

観光客が唯一の稼ぎであるこの辺鄙な村としては、どうしてもそれだけは避けたかった。

この国は先代の王の時代から【国税調査】なるものが授けられており、地方の領主、又は貴族が不正

に税を摂取していないか等を一年に一度調べている。

それだけならば地方の役人が行っても良いのだが、やはり王都から離れてしまっている地方は目が届

きにくく、役人に不正を働いている者の息がかかってしまっている可能性が高いのだ。

それでは駄目だからと、先王は数多くいた反対派の意見をねじ伏せこの案を実行したのである。

今現在ではこの制度も政治の一部として認識されており、以前に比べて不正もかなり減っていた。

しかし、そんな制度の事などあまり知らない子供たちからすれば、役人が来ている間厳戒態勢のせい

で外で遊ばせてもらえないため不平不満が溜まるばかりである。駄々を捏ねる子供もいた。

ソラディアナとラリアは一応そこまで子供ではなかった為、口に出して文句を言ったりはしない。

しかし、退屈なのは事実だ。


「暇だねー、ラリアー…」


穏やかに晴れ渡っている空を窓越しにぼーっと見ながらソラディアナは同じ部屋にいる友人に言った。

肩を少しこえたくらいの黒髪をひとつに束ねている彼女は、先程からずっとそうしている。


「私は暇じゃないわ」


ソラディアナの言葉にそう冷たく返したラリアは、彼女とは対照的に机に向かって何かに取り組んでい

るようであった。よくよく見れば、それは学校の宿題である。

ラリアは先程からこつこつと問題を解いていた為、あと四分の一ほどで終わりそうだ。


「えー、暇だよ」

「それはあなたが宿題をサボっているから。そんなに暇ならちゃんとやりなさいっ!!」


そんなラリアの意見は最もなのだが、ソラディアナからは勉強する事があまり好きではなかった為やる

気のない返事しか返ってこない。


「わかってるよー…」

「言っておくけど、絶対に何があっても見せてはあげないからね」


ラリアはそんな彼女を呆れた目でみながら、そう言った。その言葉に、ソラディアナが勢い良く反応する。


「えーっっ!!!!??」


両方の目を眼界まで見開き、彼女は慌てたようにラリアへ向けて口を開いた。


「なんでっ!!」

「そんなの当たり前でしょう。どうしてサボっている人に見せてあげなきゃいけないの。それに、そんな事

をしては本人の為にならないわ。自力でやってこそ、意味があるのよ」


何故か大人のような物言いであるが、それが彼女の性格である為ソラディアナは変に思ったりしない。

いや、実際には常日頃大人びてるな、と関心したりしているのだが、今はその余裕がないだけである。

ラリアのそんな台詞は的を射ていた為に、ソラディアナは反論の意見を上げる事が出来なかった。


「でもさぁ…私、勉強出来ないんだよ。難しすぎてっ!」

「だから、教えてあげるって前から言ってるでしょう。ほら、早くこっちに来なさい」


彼女にそう言い含められ、ソラディアナは渋々と窓辺を離れラリアのいる机へと近づいていく。

彼女にとって、地獄の時間が始まった。

初めは数学からとソラディアナは苦痛で苦痛でしょうがなかったが、隣のラリアが怖い為に嫌などとは

口が裂けても言えない。心の中で止まる事のない涙を流しつつ、数十分後には何とか終了する事に成

功した。問題が起こったのは、そんぽ次に取り掛かろうとした宿題である。

今現在ソラディアナとラリアは専攻している教科が違う為にその教科の宿題は全く異なるものだ。

今回はそれが災いした。休み前にソラディアナが専攻している教科担当から配布された紙にはこう書か

れていたのである。


【専攻教科・薬学 担当・ミッシェル・フランク】

休み明けのSTにて、《薬学の基本》P121〜125までに紹介されている薬草を揃えてノートに貼り提出

する事。また、貼る際にその薬草の特性、効く病名なども書き加える事。

※注 遅れて出す事は認めません。もしも遅れた者は、別の日にテストを実施します。


紙を貰った瞬間直に鞄にしまったソラディアナがもちろん、今回の宿題の内容を知っている筈がない。

額に青筋をたてつつも、ゆっくりと背後から一緒に紙を覗き込んでいたラリアの表情を伺おうとする。

しかし、それよりも早く。


「いいいいっ痛い痛いっ!!!!」


背後から延びてきた手に、おもいっきり耳を引張られたのだ。


「痛いって、ラリアっ!!」

「当たり前でしょ、痛くしてるのんだからっ!何でこんな大切な宿題を残しておいたのっ!?」

「だっだってー…」

「だってじゃないわ!どうするの、薬草なんて直には用意出来ないのよ!今日はお店が休みだから買

えもしないし!テストを受けるつもりなのっ!!?」


まさに《烈火の如く》、である。ラリアは常日頃から馬鹿な事ばかり起こすソラディアナを叱っているの

だが、今日もそれが炸裂していた。暫くの間、その状態が続く。頭を低くした状態でソラディアナは説教

を大人しく聞いていた。が、突然何かを思い立ったのかのように、ぱっと瞳を輝かせて顔を上げる。


「大丈夫っ!全部揃えられるよ!!」

「……どうやって?」

「森の中に全部生えてるじゃない!それと採集すれば宿題も出来るよ!!」


誠に名案だ、とでも言いたげな表情で、彼女は腕を組んでうんうんと満足そうに頷いた。

説教で頭に血がのぼっていたラリアはその言葉を聞いて、一気に脱力してしまう。


「あなたは馬鹿?…そうだったわ、馬鹿ではなく大馬鹿だったわね。いい?森に入る事は村全体で禁止

されてるでしょう。そんな所にむざむざ入るなんてただの愚か者よ」

「だから、大丈夫だってば。入っちゃいけないって言われてるのは定まった道以外のところでしょう?道

の脇にだって教科書に書いてあった薬草は生えてるよ。ねえ行こうよ〜」


微妙に説得力を含んだソラディアナのラリアはうっと詰まる。そして、今下手な事をしてはいけないと悩

んでいた彼女に、最後の揺さぶりがかかった。


「お願いっ!!」


必死の形相で目の前で手を合わし、ソラディアナがお願いしてくる。


「……わかったわ」


ラリアが、折れてしまった瞬間であった。







時を戻して、現在。

注意深く道を外れないようにしていた筈なのに、この有様である。二人が逸れなかっただけが唯一の幸

いであるが、それもラリアの努力の賜物だ。

空は日が沈みつつあり、辺りは暗くなってきてしまっている。《森に行ってくる》というメモをラリアの家に

残してきたので大人には気づいてもらえているだろうが、何せこの森の中だ。下手に探しに入ってはそ

の当人が帰れなくなってしまう。--------このままでは本当に、死んでしまうかもしれない。

そんな危機感が暗くなるにつれてラリアの感情を支配していった。大人びているといってもやはり十三

歳の子供に過ぎないのだ、当然の事である。泣き出さないだけでも凄い事だった。

対するソラディアナも、最初は浮かれていたものの、ここまできてしまうと次第に恐怖感が出てくる。

明るいうちは何とか脱出しようと歩いていたのだが、今はそれも諦めに繋がって。

二人はこれ以上進んでも危険だと判断し、少し開けた場所見つけるとそこでお互い蹲るように座り込む。

そこでは最早何も喋る気にもなれず、暫くの間沈黙が間に漂った。


「…ごめんね。ごめんね、ラリア」


突然、ソラディアナが口を開き謝りだす。その目には涙が浮かんでいた。


「ソラディアナ」

「私のせいなんだよ。私が、森に行こうなんて言わなければ…こんな事にならなかった筈だもん」

「…それは違うわ。私も、最終的には同意してしまったのだし。気にしないでいいのよ」

「でも…っ!!」

頬に涙をつたえながら、ソラディアナは反論する。

そんな彼女を、先程まで恐怖で色付けられていた瞳に強い意志を宿したラリアは言った。


「そこまで。まだ謝りたいのなら、帰ってからにして頂戴」

「ラリアッ」


ラリアはそこで、ソラディアナを落ち着かせるように笑みを顔に浮かべる。その表情に、気を張っていた

彼女はふっと肩に入れていた力を抜いた。


「…わかった」

「それで、いいのよ」


お互いどことなく照れくさそうに笑いあい、先程まで暗く淀んでいた雰囲気が幾分か和らぐ。

-----しかし、それもつかの間だ。ソラディアナがふと見つめたラリアの背後の木々の間に。





黄色く光る、二つの目。




咄嗟に叫んだ時と、それが襲い掛かってくる時と同時だった。


「ラリアっ!!!!!!!!」


鋭く尖った爪が、獲物と定められていたラリアを襲おうとしている。はっと振り向く彼女。しかし------





ソラディアナの目の前が、紅に染まる。


「あっあっあ…--っっ」


頭が、心が、すべてそれだけに集中して。森をも揺るがす程の絶叫が、木霊した。








「いやーーーーっっっ!!!!!!!」








それは、どこまでも振動する。そこでだ、異変が起きだしたのは。

まず初めに、一陣の風がその絶叫に同調するかのよううねり出した。それは徐々に大きくなり、次々と

周りの木々をなぎ倒していく。ラリアを襲った【それ】も、吹き飛ばされるように風に押され、終いには敵

意を持った風の威力によって息の根を止められた。しかし、それに気づかぬ程に、ソラディアナは己を

忘れていて叫ぶ事を止めない。だが、そんな彼女の耳に。


「ソラ…ディ、アナ…」


微かだか、確かに意識があるラリアの声が入ってきた。その声を聞いて、消えかかっていた自我が浮

上し始める。そんな彼女の元に、ラリアとは違う声が届いてきた。


【もう大丈夫。大丈夫だよ。愛する人、また呼んで。みんな、待ってるから。待って、るから】


そんな声を聞こえて。優しい風が、二人を穏やかに包み込む。

そこで何故か、浮上していた筈の意識が今度は擦れていった。

------彼女は、意識はそこで途切れる。

風が吹き終えたその場に、荒らされた周り以外人の影は一人としていなかった。






時は経ち、数日後。

ソラディアナの体は現在自分の部屋のベットの上にあった。その近くでは、呆れたように笑うラリアの

姿がある。彼女の頭には白い包帯が丁寧に巻かれていた。

あれから彼女たちを必死で探していた大人たちが森の入り口で寄り添うように倒れている二人を見つ

け、大騒ぎとなり急いで村で唯一の医者の所へと運ばれた。

本当に幸福にもラリアの怪我は額のかすり傷だけで、一ヶ月もすれば痕もなく治るらしい。しかし、怪

我をしたところが悪かったのか、出血が通常以上に出てしまったと言う訳だ。

これはまだ、良いほうである。怪我をしていない筈のソラディアナの方が重症だったのだ。

医者の元に運ばれたときは疲労状態で、目を醒ます事無く昨日やっと目覚めたのである。

何故、そんなふうになってしまったのか。以外にもその答えは、王都からの役人が今回の現状を見て

解決してくれた。即ち。ソラディアナは【精祝者】なのではないかというのだ。その方向の専門家ではな

いため確実とは言いがたいが、その可能性が高いと言う。

まず第一に、魔術もしらない彼女の叫びに風が反応し森の一部を更地に近い状態にしてしまった事。

第二に、最後に聞こえてきた声。これを【精霊の声】だと役人は言うのだ。

そして、第三に。今回の寝たきり状態である。【精祝者】に対する国の数少ない前例から、どうやら突然

【精祝者】として力を発揮すると、急激な変化から体が拒否反応を起こしてしまうらしい。

ソラディアナは起きて最初にその事を言われたのだが、頭がついていかずただ呆然と聞くしかなかった。

王都の役人はまだ本調子ではない彼女を連れてはいけないからと、【精祝者】の選定者を呼んでくれて。

そこで正式に、彼女は本当に稀少な【精祝者】だと認められる。しかも、風と水、両方の。

二つの精霊に祝福されている人間など見たことがなかった選定者は目をがばっと開きながら驚いて声

を失っていた。当の本人はその重要性を理解できず、きょとんとしていたが。

ちなみにどのように選定したのかと言えば、力に言霊を乗せて精霊へと語りかけ、精霊が反応するか

どうかという至って簡単なものだ。その言霊自体に何かあるらしいが、どうやら重要秘密であるらしい。

共に再び訪れていた王都の役人と選定者は自分たちと共に王都へ来るようにと何度も要求した。

それほどまでに【精祝者】と呼ばれる存在は大切なものらしい。

しかし、そんな彼らにソラディアナは-------


「い、やっ!!」


の、一点張りである。役人たちがどれだけ説得せても、彼女は決して頷こうとしなかった。

結局。十七歳になってら王都の国立学院に通う、という条件で双方に決着が着く形となる。それでも

ソラディアナは不本意そうであったが。






これが、彼女と精霊たちとの出会い。

更に新しい事実が発覚するのは、まだ数年後の事だ。







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