天翔る



番外編 【旅の合間で】




それはソラディアナ達がジェニファルド国から逃げ出し、目的の国シーランの首都へと向かっている最中に起こった。






* * * * *






少々湿り気を帯びている外は作物にとって恵みとなる雨が大地を優しく包み込んでおり、この街に住む子供たちも

今日は大人しく家の中で遊んでいる。

ジェニファルド国の国境を抜け十日程進んだ所に存在しているこの街は、商売をするために各国を巡っている商人

達にとっては恰好の休憩地点であり、市では珍しい物等がたくさん出回っていた。

そのような場所であるから宿屋もたくさん存在しており、安く提供している所もあるため寝所に困る事はない。

雨がしとしとと降りそそぐ中、ソラディアナ達がこの街に辿り着いたのは空が明るくなろうとしている早朝であった。

時間を問わず街を訪れた者達を出迎えてくれる宿屋を発見し、やっとの事で休息を得られる事が出来たのはそれ

から少し後の事で、現在クラウスの愛馬は厩で干草を食べている。

慣れない旅で疲労が溜まっていたソラディアナにとって久しぶりの安息場だ。


「ああ、ベットなんて久しぶり…」


彼女は部屋の片隅にあるベットにごろりと寝転びながら独り言のようにポツリと呟いた。

ここ数日野宿ばかりだったため、固い地面で寝て節々が痛かった体に柔らかいこのベットの感覚はまさに快感だ。

彼女が今居る部屋は一人部屋とやや狭いが、必要最低限の物は揃えられているようで困る事はない。

入り口から真っ直ぐ進んだところに備え付けられている小さな窓からは、この街の通りと一望する事が出来る。

クラウスはソラディアナの隣の部屋を借りているのだが、宿屋の主と何やら話していたのでそこにはいなかった。

彼は現在彼女と初めて会った時のように髪や瞳の色を変えており、その正体が何者であるかばれる事はない。

だが元々容姿が整っていた為に、道中女性から熱い視線を浴びる事は多々あったが。

本人はそれを本当に嫌そうにしており、何故だかソラディアナには笑えてしまった。





しばらくの間ごろごろと彼女は寝転がっていたのだが、ふと感じた体の異変に顔を顰めのそりと起き上がった。

どうも、頭が痛いのだ。

激痛というわけではないのだが、放っておいて大丈夫なほどの軽症な痛さではない。

この雨の中を旅してきたのだ、恐らく風邪を引いてしまったのだろう。

ソラディアナはそう結論に達すると、風邪には休息が一番だと考え食事は食べずに眠りに就く事にする。

風邪を引いても一日寝れば全快してしまう事が多かった彼女は、今回もすぐに治るだろうと楽観視していた。

目を閉じれば、直に眠気が襲ってくる。

微かに残った意識の中で、誰かがドアを叩く音が聞こえたような気がした。





どのぐらい時間が経っただろうか。

空はこの街に着いた当初と同じで相変わらずの曇り空であったが、降っていた雨はいつの間にか止んでいる。

霞む意識の中でそっと開けた瞳に映ったのは、見慣れていない宿屋の天井。

しばらくの間は何もする気がおきずぼーっとしていたのだが、喉がカラカラなのに我慢出来なくなり起き上がろうと

ソラディアナは体に力を入れた。

しかしどうにも体がだるくうまくいかない。

何時ものように体を自由に動かす事が出来ず、瞳に映る部屋の風景も霞んで見えた。

何とか上半身だけを起こす事ができたのだが、それ以上はどう頑張っても無理だ。

そんな状態の中で、この部屋に誰かが入ってくる気配を感じソラディアナがそちらへと視線を向ける。

霞む視界の中に映った人物は、手に何かを持ったクラウスであった。

上半身だけを起こしてこちらを向いている彼女に気がついたのか、彼はベットまで近寄ると話しかけてくる。


「おい、起き上がって大丈夫なのか?」

「え…?」

「お前、風邪引いて熱だしたんだよ」


今まで自分が熱をだしているなどと考えてもいなかったソラディアナは、クラウスにそう言われて初めて自分のこ

のだるさと頭痛がそれのせいなのだと理解した。


「薬湯を貰ってきてやった。飲めるか?」

「うん…」


薬湯全般は苦くてあまり好きではないのだが、折角用意してくれたものを無下に断る事などできない。

早くこの熱を下げるためにも、薬湯が入っている器をクラウスから受け取り飲もうとした。

しかしうまく手を持ち上げる事が出来ず、自ら器を持って薬湯を口に運ぶ事が出来ない。

それを見るに見かねたクラウスは、差し出していた手を今度は彼女の口元まで運び、だるそうにしている体を片手

で支えてやりながら飲みやすいにしてやる。

クラウスのこの行動は素なのだが、一応お年頃のソラディアナからしてもれば例え熱を引いていたとして赤面もの

でとても恥ずかしい。

しかしそれが好意でやってくれているものの為抗議することも出来ず、差し出された器の中の薬湯を口に含んだ。

口の中に、苦い味が広がる。

その味に一瞬顔を顰めたソラディアナであったが、薬湯のあとに飲ませてくれた水で何とか口の中の苦さが消えた。


「よし、飲んだな。これで明日には下がってるだろ」

「あっありがとう」


恥ずかしさのためか思わずどもってしまったソラディアナではあったが、こればかりはしょうがない。

そんな彼女の様子にクラウスが気づいた様子もなく、持っていた器を近くの机の上に置くとソラディアナに横になるよ

うに言い、両手で背中を支えてやりながらをゆっくりと寝かせた。

別に異性として意識しているわけではないのだが、妙に胸がどきどきしている。

ソラディアナはこの胸の高鳴りを熱のせいだと心の中で何度も念じながら、ぎゅっと瞼を閉じた。

今までの旅の疲労もあったのか、目を閉じれば先程まで寝ていたのにも関わらずに眠気が襲ってくる。

クラウスが近くにいてくれるのを感じながら、ソラディアナは深い眠りへと再び誘われていった。





彼女が寝入ってしまったのを確認すると、クラウスはふうっと一つ溜息をついた。

朝、この宿屋の主人にいろいろと話を聞いた後に朝食はどうするかと聞くため訪ねてみれば顔を赤くしながら寝ている

彼女の姿を見つけ、慌てて額に手をあてがってみれば微かに熱かったのだ。

その時、あの雨の中旅を無理に続けてしまった事に後悔をした。

自分の事情でソラディアナを学院から連れ出し、こうして慣れていない旅に付き合わせてしまっている。

それだけでも悪いと思っているのに、こうして彼女が熱を出すまで体の様態に気づいてやれずにいたのだ。


「…悪かった、な」


誰にも聞こえないような小さい声で、もう一度悪かったと謝る。

そうした後、小さい頃熱を出した時に母親がしてくれたようにそっとソラディアナの前髪をかき上げ額に口付けた。

どこか鈍いところがある彼は、こうした行為が不自然なものとは微塵も思っていない。

額から唇を離しそっと顔を上げれば、薬湯が大分効き安らかな寝顔で眠っている彼女の顔が視界に飛び込んでくる。

その寝顔を見て、もう大丈夫だとクラウスは安心した。

ふと横に視線を向ければ、明かりが部屋の中に入り込んでおり、見上げた窓の外では、雲に隠れていたはずの太陽

が微かに姿を見せ始めていた。

このまま二、三日休養してこの街を出る頃には夏らしい晴天が空に広がっている筈だ。









ちなみに、翌日に完治したソラディアナはしばらくの間まともにクラウスと顔を合わせることが出来なかったらしい。

クラウスはそんな彼女の様子に自分は何か悪い事をしたかと影で真剣に悩んでいたとかいなかったとか。








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